「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 101
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中村直文、NHK取材班『靖国−知られざる占領下の攻防』、
            NHK出版、
2007

 

 

 

 

 

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アメリカは日本を占領するに当たって、国家神道を危険視した。ナチズムと同じ種類の思想と考えていたからである。

「軍隊を解体しても国家神道をそのままにしておけば、いつかは日本に軍国主義が復活し、連合国に対して復讐の刃を研ぐようになるだろうと、多くの欧米人は考えていた。」(岸本英夫、「嵐の中の神社神道」より)それで国家神道廃止は、全占領政策の中の根本政策の一つとして扱われていた。

 

その象徴的存在の靖国神社や護国神社を廃止するか、存続させるかというぎりぎりのせめぎ合いが、占領下の日本で戦わされた。その詳細を「知られざる占領下の攻防」として、この本は明らかにしている。著者・中村氏とNHK取材班による労作である。取材班の一人はオレゴン大学の図書館に埋もれていた、ウッダード(GHQの宗教課に所属していた)の膨大な資料を探し出した。ウッダードは終戦直後の日本全国の神社を徹底調査した人物で、『天皇と神道』を書いている。その資料は5千数百点に及ぶ。

 

小泉元首相の靖国参拝によって引き起こされたあの靖国問題には実に辟易とさせられた。滑稽とも思える猛ばった表情、これ見よがしに参拝する様と報道の過熱ぶりは、むしろ恥ずかしいことに感じられた。靖国参拝に賛成・反対する以前に、靖国神社とは何か、その成立と占領下を生き延びてきた歴史を私は詳しく知りたいと思っていた。同じ感じを抱いた方々にはぜひこの本に目を通していただきたい。

 

GHQ(連合国軍総司令部)で認識されていたのは軍国主義的側面だけだったので、靖国神社は占領開始後ただちに解体されていたかもしれない。焼き払われていたかもしれない。しかし神道がもし宗教上の役割を有しているなら、信教の自由の原則に従って他の宗教機関と同等に、同様の保護を受ける権利があると占領軍側は考えていた。

 

神道指令が、日本に対して極めつけの指令として発せられた(昭和20年12月15日)。それは国家と宗教を切り離し、軍国主義ないし過激な国家主義的イデオロギーを広めることを一切禁止するという指令であった。

 

靖国神社は「軍国主義を支えた」と糾弾され、閉鎖の瀬戸際まで行きながら、その結末は一宗教法人として生き残ったのである。戦没した軍人・軍属などを神として祀る日本的宗教は、今に伝えられたのである。

その影には、関係者の涙ぐましい努力が払われたことを、この本から知ることになった。

 

岸本英夫、東京帝国大学文学部宗教学科卒、ハーバード大学に留学した岸本はGHQのアドバイザーとなり、知識の浅いGHQの高官には初歩的な講義もする。GHQと日本政府・靖国神社との間に入って奔走する。陸海軍の完全な解体前に行われた靖国神社の臨時大招魂祭を無事にとりおこなうことにも貢献している。

臨時大招魂祭とは200万人もの戦没者を一括して招魂するという前代未聞のセレモニーであった。

”天皇陛下バンザイ”といって散っていった兵士たちに、昭和天皇が鎮魂の祈りを捧げる唯一の場所は靖国神社であり、臨時大招魂祭であった。

GHQのダイク局長自身がこれを監視に行くといいだす。この人物の印象いかんでは、靖国神社の運命が決定的なものになるおそれすらあった。岸本や靖国神社権宮司・横井時常らの懸命な説得で、列席する陸海軍の高官たちの合意をとりつけた。彼らは軍服を脱いで背広に着がえて列席した。軍楽隊の奏楽ではなく、雅楽が演奏された。軍の色を薄くしたのである。GHQの高官たちは好感を持って、この招魂祭の進行を観閲したに違いない。

権宮司・横井時常は奇抜なアイデアを考え出す人物であったらしい。「軍国主義的」レッテルを打ち消すため、いろんな方策を考案する。

「靖国廟宮」という名称への変更提案、神社職員が帰農して、自給自足体制をとる、境内にメリーゴーランド、ローラースケートなどの娯楽施設を建設するなどである。そして生き延びるためのあらゆる方策を実行に移していく。

「伝統にはなかった新たな祭祀、端午祭、雛祭り、みたままつりをつぎつぎと立ち上げた。一方で、国家あるいは天皇と関連の深い祭典を廃止した。強調されたのは「慰霊」で、以前の「英霊顕彰」は影を潜めた。」

 

もっとも効果的だったのは、GHQに届いた遺族からの切々たる嘆願書であった。大量に届けられた嘆願書は靖国神社の存続を訴えていた。靖国神社を巡る日米の攻防において、遺族の存在はしだいにGHQに対する大きな圧力となったという。
 ところで靖国神社の焼き打ち計画を、阻止したのは上智学院のブルーノ・ビッテル神父だと書かれている本がある。しかし、本著ではその証拠を裏付けできる資料は一切なかったと述べている。同神父からの助言があったのかもしれないが、たった一人の助言で、靖国神社が救われたと言えるほど、単純な問題ではなかったようである。

(2009.06.20)  (2017.04.10) 森本正昭 記