「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 127
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石村博子『たった独りの引き揚げ隊』 10歳の少年、満州1000キロを征く
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戦争を庶民の目で描いた物語は読者に感動を与える。その多くはもの悲しく切ない。ところが本著の主人公はどこまでも陽性であり、悲しい物語ではない。たった独りで満州の曠野を日本へ向かって引き揚げてきた少年がいたというのだから、これほど痛快なことはない。 その少年の父親は日本人で、満州で毛皮商人をしていた。母親は亡命コサックの娘、祖父はロシア帝国最後の皇帝ニコライ二世直属のコサック近衛騎兵を務めた人物である。この祖父はサムライとコサックの結婚を殊の外、喜んだという。 少年・古賀正一(ロシア名ビクトル)は後に41連戦すべて一本勝ち、格闘技の帝王とよばれたビクトル古賀である。彼自身「人生の中で最も輝いていたのは10歳の時、ハイラルを出てから日本に帰るまでの一年半の間のことだった」と述べている。痛快なドラマである。そのため著者は格闘家ビクトルではなく、10歳の少年ビクトルに取材の矛先を向けている。 ビクトルは祖父・フョードルに導かれ、日本人として唯一、コサックの伝統を受け継ぐ少年になった。この大草原でコサックの騎馬訓練から学んだことが、後に大いに役立つことになるのだった。 ソ連軍がソ満国境に近い軍都ハイラルに侵攻してきたのは1945年8月9日午後、見事なまでの夕焼けがホロンバイルの大草原を照らし始めた頃だ。地平は一面の夕焼けに輝いていた。 姿はぜんぜん見えないのに、”カタ、カタ、カタ”という機械音だけがきこえてくる。その向こうから、ソ連の戦車部隊が近づいてきたのだった。 日本人は先を争うようにして避難列車に乗ろうとするが、これに乗れたのは、軍関係者、満鉄関係者、および有力会社社員とその家族のみ。その他の者は置き去りにされてしまう。ビクトルの帰りを待っていた家族は待ちきれず一足先に逃げ出してしまい、彼は取り残されてしまったのである。 玉音放送を聞いた日本人は戦争に負けたことを知ると、これまでの誇りを失い、惨めな姿に変身してしまった。大人には青酸カリが配られた。ビクトルは「日本人はなんて精神的に弱い民族なんだろう」と思ったという。ビクトルはというと独りぼっちになっても、泣き叫んだりはしなかった。とても強い少年であった。 彼はまず独りで父の別宅のあるハルビンに向かう。それ以降の行程は ハイラル→ハルビン→新京→奉天→錦州市→コロ島→佐世保と満州の曠野を独りで歩みつづけ、ついに日本の佐世保にたどり着くことができた。 単独行を支えてくれたのは、祖父から教えられたコサック式の騎馬訓練、大草原で位置や方向を知ること、自然の中で危険を察知する能力、どんな靴を履くか、それにロシア語による会話などが役だった。ハーフなので日本人家庭とコサックの家庭を知っているが、ビクトルには日本人の家でのかたくるしい作法や習慣は性に合わず、草原を馬で仲間と駆けまわる暮らしの方が性に合っていた。 ハルビンでは、母と再会できることを願い、親戚の家でしばらく待機していた。そのときも家にいるよりは外に飛び出していく日々を過ごした。バザールでのかっぱらい集団に加わったり、ソ連軍から砲弾を盗む危険なことにも手を染めた。 曠野を歩いていくためには、水のありかを敏感にキャッチしなくてはならない。これは馬のために水を探す動作に似ていた。彼は河の音や匂いを嗅ぎとることができた。 家に立ち昇る煙から、ロシア人が住んでいる家を遠くからでも識別することができた。ロシア人は彼に親切だった。それでその家庭を訪ね、ロシア語で話しかければ助けてくれた。野宿の危険を避ける方法も知っていた。日本人の避難民の集団が何かおどおどしている様子を後方から眺めていた。彼らは中国人の強盗に対して無防備だった。 そしてついに1000キロの曠野を踏破することになった。それを知った人々は子供が独りでそんなことができるわけがないと驚きの声をあげるのだった。 日本に着いてからはレスリングの世界で活躍する。 <かわいがってくれる人が人生の節々に現れて、それは恵まれていた。出会った人みんなに感謝だよ>という。 「ビクトル古賀の名前は「サンボの神様」として、1975年、自由主義国の人間として初のソ連邦功労スポーツマスターの称号を得た。」 また母との再会をはたすといううれしいこともあった。 輝かしい後半生を送るのだが、それにもかかわらず、少年の日の輝かしい記憶を忘れることができない。 ロシア人は死ぬことを「ロジーナに還る」という。「ロジーナ」とはふる里の意味なのだが、日本語の「ふる里」よりも、もっと深く重たい響きを持って一人ひとりに迫る言葉だという。最後はロジーナに心のやすらぎを求める。 この本にはコサックの歴史が詳しく書かれている。コサックはソヴィエト政権下の弾圧によって人口の7割が抹殺されたという。棄民となった彼らはホロンバイルの大草原が住みかとなった。ビクトルの家族にとって、この大地がロジーナとなっている。 (2011.05.27) (2017.04.23) 記: 森本正昭 |