「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 138
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所 功 『戦没者の慰霊と遺骨収集』―ソロモン・沖縄を再び訪れて―

    国民会館叢書61、2005

 

 

 

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遺骨収集に関して、このサイトではこれまでに次の著作を紹介している

笹 幸恵 『女ひとり玉砕の島を行く』

チャールズ・ハペル 『ココダの約束』

上坂冬子 『硫黄島いまだ玉砕せず』

「ココダの約束」の主人公である西村幸吉氏は「収集」ではなく「収容」と言うべきだと述べているので、私も以下の文章の中では「遺骨収容」を使うことにする。

これらの本を読むと、遺骨収容に残された人生のすべてをかけて活動している人物像が浮かび上がってくる。それらの人々に深い敬意を表さねばならない。

 

外地で亡くなった戦死者の霊はどうやって故郷に帰ってくるのか。そもそも霊魂というものがあるのかという基本的疑問に対して、遺骨収容活動に打ち込んだ人には、明確な解答があるように思える。不思議な霊的体験に遭遇したという事実がそれを物語っている。

 

笹幸恵氏は「慰霊巡拝の旅には、時折不思議なことが起こる。それは霊魂が呼び、求め合う世界である。生まれたばかりの子どもを残して出征した父、求め続けた戦争遺児が父の飯ごうを偶然の連鎖の末、捜し出した所 功氏の話」、またブーゲンビル島慰霊の旅に参加した山本邦彦氏の話では「生後11ヶ月で出征。一緒に生活した記憶のない父。人生の局面で、彼はどれ程父親の姿を探し求めただろうか。そんなとき、父なら何と言っただろうか。叱ってくれただろうか。誉めてくれただろうか。

しかし、父が息子に言葉をかけることは永遠にない。だからこそ、彼はこの島の子どもたちと接することで、少しずつ父との距離を縮めようとしていたのではないか。」と遺児たちと戦死者の霊とが求め合う世界が書き綴られている。なんとも切ない話である。

 

本著はその所功氏の講演をそのまま文章化したものである。そこで遺骨収容の意味するものは何かを明らかにしている。

霊魂が呼び合う世界については次のように述べている。

「ものを言わない父にも、霊を発する力があり、その霊波というものを、たまたま私の方の思いで受けとめることができたのか、あるいはこちらの思いを亡き霊が受けとめてくれたということなのかと思いました。」

「それ以来、私は亡くなった人にも呼びかける力があり、それを無視してはならない、むしろそれを畏れ慎む心がなければならない、ということを自分の信条としております。」

「「慰霊」という行為も、故人に対する限りない「尊敬と感謝の愛情」だ、という捉え方をしてよいと思います。」

 

日本には遺骨を非常に重んじる風習が強い。遺骨が魂のよりどころだという信仰が昔からあるからだろう。

遺骨収容が外国でも行われているかというと、日本ほど熱心ではないにしても、米国でも外交交渉の場で話し合われていることを知った。米国は朝鮮戦争時代(1950.6-1953.7)の米兵の遺骨や遺品を引き取ることを交渉の一条件に挙げている。相手国は北朝鮮であり、朝鮮戦争時代に北朝鮮で失踪した米兵の消息や遺品の返還を60年を経過した今日でも求めているのである。

 

遺族が戦死地を訪れる意味は何か。遺骨収容活動や現地での交流が必要である理由についても著者はわかりやすく説明している。

 

加治伸行大阪大学名誉教授は「祖先祭祀は天上の魂と地下の魄が墓碑・位牌で合体再生する儀式である」と説いている。それらを再び引き合わせるのがお墓であり、御位牌であるという考え方をしている。

 

また民俗学者柳田国男の『先祖の話』の中で、先祖の慰霊は日本古来の伝統である。これは日本人の信仰の中核をなすものである。だから遺族や戦友だけでなく、全日本人の勤めとして受け継いでいかなければならないという。

いま遺族や戦友などの当事者が高齢化しているので、全国民の勤めとして慰霊を続けていかねばならない、さらには外地に慰霊碑を建てた場合には、現地住民の理解を得るため様々な支援や交流が必要であることも述べている。

(2012.05.05)  森本正昭 記