「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 131
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紫野貴李『前夜の航跡』 新潮社、2010
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この作品は第22回 日本ファンタジーノベル大賞を受賞している。 この小説のエッセンスは何か。第1次世界大戦後の戦間期における各国の軍拡競争から膨張する軍事予算を圧縮するため、ワシントンで海軍軍縮条約が結ばれた。日本では艦艇建造のためだけに国家予算の1/3を使っていた。維持費も莫大になっていた。これを縮小することは国家にとって重要な課題であった。艦艇の保有比率を米、英が各5に対して日本は3の割合となった。さらに条約締結後は戦艦の新造は行わないという取り決められた。この決定に国内では反対者も多かった。 しかし抜け道があった。艦の排水量と搭載砲数が決められており、その範囲内で、各国は戦艦の改良にしのぎを削った。 日本は攻撃力を重視し魚雷装備を充実させた。一方で居住性を犠牲にした。また条約に規制されない小型艦を多数建造し重い装備を施した。米国は砲力を目一杯装備した。英国は植民地とのシーレーンを重視し、長期の航海に適応できる居住性に配慮した。 日本の場合、艦船の規模に合わない重装備になったため、訓練時から多くの遭難事故が発生した。 この小説は、このような不条理な理由で殉職した青年たちの思いを晴らすために書かれたのであろう。それには超常的でファンタスティックな仕掛けが必要になる。 『前夜の航跡』は五話からなる。 笠置亮祐という木彫の仏像を彫る不思議な人物が問題を次々と解決していく。 若くして無念な死に方をした軍人たちはこの若者が制作した木像によって魂を救われていくという物語である。 最初の話「左手の霊示」に登場する‘わたし’が所属するのは海軍諜報部第四課である。丁種特務班という自虐的な呼び名もあった。こんな部署が実在したとは思えないが、隠密裡の特殊任務機関だという想定である。 わたしは芹川達人中尉。上官に支倉大佐がいるが、独眼竜の異名を持つ。ともに新魚雷を開発する途上、事故に遭っている。 海軍では戦時でなくても様々な海難事故により殉死する軍人が少なからずいた。それで執着や怨念が消え去らない場合、不成仏霊となる者もいた。丁種特務班の仕事は、幽霊の噂の出たところへ出向き噂の真相を究明し、出没するなら浄霊する。こんなことは海軍内部でも極秘事項だった。 ある時期、事故が多発した。そこでは特務班が活躍せざるを得ない。 無理な装備を施した艦船は、演習中でも不遇な遭難事故に見まわれた。そのほとんどが人災であった。 芹川の左手は義手なのだが、ファンタスティックなのはその義手をはめているとき、霊的存在を感じ取ると発光信号を出し淡く光る。さらには霊の話す言葉を理解でき命令を出すことまでできる。この義手は笠置亮祐が木彫で作ったものである。 「左手の霊示」では浄霊対象者は神通の艦長村路大佐である。彼は美保関沖で演習中に艦同士の衝突事故を起こし多数の死者を出した。その責任を感じ続けているのか不成仏霊となっていた。供養をやり直すことによって浄霊し、多数の殉職者も往生を遂げる。 その他の話ではネズミを退治する木彫の霊猫や、子猫が転覆した艦から下士官兵を生還させる。これは過剰な砲門の搭載が艇の重心を高くし転覆の原因となった。 さらに洋上にいるはずの友人が持参したバラの細工、艦艇の殉難から命を救う弁天像などいずれも笠置亮祐が彫り込んだ木像が活躍する。 著者が旧海軍に興味を抱くようになった切っ掛けは、司馬遼太郎の『坂の上の雲』に感銘を受けたことである。さらには吉村昭の短編「艦首切断」に出会い、その取材力に驚きを覚えたことを挙げている。 それにしても紫野氏の文学賞への飽くなき挑戦はすさまじいものがある。 (2011.10.09) 森本正昭 記 |