「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 129
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保阪正康『松本清張と昭和史』
平凡社新書、2006
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この本を読むと、過去に『昭和史発掘』や『日本の黒い霧』を読んだことのある人でも、もう一度読んでみようかという気になる。 松本清張の『昭和史発掘』には20のテーマが選ばれている。それは昭和史の一般的年譜と異なるものである。昭和前期は松本氏自身の青春期に当たる時期でもある。生活するため底辺を懸命に生きてきた。 「底辺からの視線」によって事象に切り込んでいくのは氏の習性ともいえよう。激変する世界情勢に対して、日本が選択した道は軍事主導体制へと急角度に舵を切った時代である。氏は50代になってこのテーマを取り上げることに情熱を抱いたのであろう。 著者・保阪氏は20のテーマを軍事的テーマ(陸軍機密費問題、北原二等卒の直訴など)と非軍事的テーマ(石田検事の怪死、芥川龍之介の死など)に分類している。しかし非軍事的テーマであっても背後に軍事が顔を出している。 もう一つの分類軸に「庶民の生き方を検証する目」と「庶民を動かした権力中枢内部を見つめる視点」をあげている。この表現では分かりにくい。これは弾圧を怖れるか否かという問題であろうか。「松本氏は決して堅い言葉で官憲に対する怒りを語るのではなく、小説的な手法を借りて、現実を細かく描写することで、(一部略)、何が見えていなかったのかを丹念に描いている。それゆえに説得力を持っている。」 本著の中で興味深い書き方をしている個所の一部を紹介してみる。 小説家を取り上げているのは、『芥川龍之介の死』『潤一郎と春夫』『小林多喜二の死』の3篇である。まだ10代で社会の底辺で働いていたときに、独自の関心を抱いたのであろう。当時の自然主義作家と同様にあるがままに書くのではなく、社会的な視点を持って書くという立場から、芥川から小林多喜二へと進んでいった。 「赤狩り」によって小倉署に検挙された経験もある。「官憲の暴力、弾圧という枠組みから、自らの価値観を抑圧していかなければいけないことを知った。松本氏の小説が持っている社会的視点は、すぐには行動に走らず、立ち止まって現実を直視する」ことで客観性が高まっていく。 『昭和史発掘』は週刊誌に連載されたが、後に単行本にするとき、削除されたのは『政治の妖雲・穏田の行者』と『お鯉事件』である。これらは政界の裏話的なものであり、一般の年譜にはのっていないのが削除の理由である。 穏田の行者の主人公は飯野吉三郎という人物である。松本氏は国家主義・軍国主義の台頭期には必ずこのような人物が現れるものだという。また2・26事件の理論家北一輝と飯野が似ていると気づいている。巨大な政治的権力者には人間的な空虚感が生まれる。その空虚感の中に入り込むのがこのような人物(宗教家や預言者)で、権力者にある人間的弱さに関心を抱いたのであろう。 巨大な権力を獲得した軍事主導体制に抵抗する個人の強さと弱さを松本自身の境遇に照らし合わせていったのであろう。個人としての青年将校、小林多喜二、北原二等卒、『京都大学の墓碑銘』の学者、『天皇機関説』の美濃部達吉などを描き読者に伝えようとした。 「ファシズムに警鐘を鳴らす側に立っていたと見られているが、かといって戦後の既成左翼の文化を担うという意識は持っていなかった。これが一般読者を広く獲得した理由であろう。」 松本氏がもっとも精力をつぎ込んだのは、2・26事件である。全集になった全13巻の内7巻から13巻までは2・26事件で埋められている。 これは昭和11年に起こった事件である。戦争勃発から敗戦までの重要な時期については昭和前期には含まれないというのだろうか。一つの謎ではある。昭和前期は昭和初年代と2・26事件に凝縮されているという史観をもっていたのであろう。「軍事指導者たちが前面に出て日本をまるで「兵舎」のごとくに変えていった。」松本氏もその兵舎の中にいて、同時代人としてそれを書くことのうとましさを感じたのであろうと著者は述べている。 「松本は2・26事件を調べ、多くの資料を手に入れるうちに、昭和史前期を語るには、2・26事件を語ることですべて説明がつくとの確信を持ったのではないかと思う。」松本氏は「これが日本の敗戦に直接に結びついている点である。その意味では2・26事件は歴史上で過小評価されてきた。」と述べている。 「事件後、軍部は絶えず、2・26の再発をちらつかせ、政・財・言論界を脅迫した。…やがて国民をひきずり戦争体制へ大股に歩き出すのである。」 『日本の黒い霧』ではそれほど長くはない占領期に不可解な事件が多発した。 松本氏は謎の多い事件の黒い霧の向こうに、アメリカの謀略を感じ追求していった。 『下山国鉄総裁謀殺論』、『白鳥事件』、『ラストヴォロフ事件』、『帝銀事件の謎』、『鹿地亘事件』、『推理・松川事件』、『謀略朝鮮戦争』などからなる。 これらの事件をアメリカの謀略に収斂されていくことには反論や異論を唱えた論者も多かった。しかし松本氏の場合、説得に値する資料、説得に値する論理を明確にしている点が他の論者よりも優れたものがあるという。 (2011.08.07) (2017.04.24) 森本正昭 記) |