「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 108
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北原亜以子『父の戦地』
        新潮社、2008

 

 

 

 

 

 

 

 

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「父は、私がかぞえ年4歳の時に出征した。」

「そのうちに父からの葉書が届くのが間遠になり、ついには届かなくなった。警戒警報のサイレンにおびえながら、“お父ちゃんの葉書がこなくなった”と思ったことは、鮮明に覚えている。」

「戦争は、賑やかだった私の家から父を取り上げた。」

 

このような短い文章から、押し殺したような父への思慕の情が伝わってくる。

 

著者の父が戦地から子に書き送った葉書、それは軍事郵便として送られてきたものである。そこにはビルマの人びとが描かれており、子供が楽しめる絵手紙になっている。

お父上は家具職人であったというが、絵はなかなかうまい。戦地を感じさせないようなのんびりした現地ビルマの人びとの情景が描かれていて、見る人に暖かみを感じさせるに充分である。

 

おびただしい量の葉書が送られてきた。この本はその中から選ばれた絵手紙を章立てに使っている。「軍事郵便第1回」から最終回まで15回で構成されている。

幼児のころのかすかな記憶しかない著者はこの葉書から、父の像を懐こうとしていろんな推測している。たとえば「自分が戦地にいる間に、内地の家族が他界することもある、それならば今、少しでも多く妻や娘の声を聞こう、自分のようすを精いっぱい知らせてやろう。」

それが、大量の葉書となったのではないかと。

 

 「母に若造りをしていてくれと言い、ヨシエ(著者の名前)の夢を毎晩見ると言いながら、父は一方で、見知らぬ町での暮らしを楽しんでいたようにも思えるのである。」

 

軍事郵便には検閲印は捺されているが、日付入りのスタンプなど捺されていない。それで到着する順番は、父が書いた順ではないので、この葉書はいつ頃書いたものかを著者は推測している。その想像は楽しみでもあるが、戦局が終わりに近づくと、葉書はもはや送られてこなくなるのである。

 

終章に近く、東京大空襲のようすが書かれている章がある。これは著者の体験ではなく、母のいとこにあたる人・おケイちゃんの体験を想像して書いたものである。

この章と最終章は転調したかのように別の調子で描かれている。

東京・本所で罹災したおケイちゃんが見たのは、空襲がつくる地獄であった。…おじさんの手を引き、寝たきりのおばさんを背負って、火の海の中を逃げまわる。

 

戦後になって、「そのおケイちゃんが、戦争漫画の掲載されている雑誌を持ってきた長男を、声を震わせて叱りつけた。3月10日の記憶が頭にこびりついて、戦争とか空襲の文字を見るのもいやだったのだろう。…」

その日、東京には火の巻き起こす30メートルの風が吹いていたという。

 

最終章は著者が作家として、書くことに混迷しているとき、父の霊魂が薄煙のような姿になって登場し助けられる話である。歴史・時代小説の第一人者と言われる著者の初期の心の内を見た思いがする。

 

余談ながら、この文章を書いている私は、著者とほぼ同年齢である。私の父が戦地から送ってきたのは絵手紙ではなく、軍人らしい遺書だけだった。

(2009.10.27)  (2017.04.12) 森本正昭 記