「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 123
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川口恵美子『戦争未亡人』
      ドメス出版、
2003

  被害と加害のはざまで

 

 

 

 

 

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先の戦争において、その数40万人におよぶ「戦争未亡人」が、痛ましい犠牲者として生み出された。しかし60余年を経た現在まで、その実態を歴史的にまた学問的に明らかにしようとする試みは本格的には行われてこなかった。

戦時には国のホマレとして讃えられた事柄の多くは歴史の背後に追いやられてしまっている。「戦争未亡人」の他にも、「軍神」、「傷痍軍人」、「満州開拓」、「小国民」などもそうである。死語とまではいかないが、次第に忘れ去られる運命にある。

敗者の側からは歴史を描き出すことはできないという説がある。そのためこれらは歴史の背後に埋没するしかないのかも知れない。しかし著者・川口美恵子さんは「戦争未亡人」の問題を研究テーマに選び、ねばり強く取り組み著書にまとめている。労作である。

著者は戦時および被占領時に発行された婦人雑誌を読み込んで史料としている。『愛国婦人』、『家庭』、『日本婦人』、『婦人倶楽部』、『主婦の友』、『婦人公論』などがある。これらのメディアは困窮する戦争未亡人に対する生活相談を行うことや生きていく指針を与えていたようで、メディアの役割が今日よりも強いものであったと考えられる。読者の戦争未亡人からの切実な投稿が多かったものと思う。それが史料としての価値を高めているのではないだろうか。

 

著者は多様な戦争未亡人像を次のように分類している。

縦軸に夫が「軍人」か「召集軍人」か。これは未亡人の精神構造が異なるとする。

横軸には「戦死公報を受け取った時期が戦時」か、「戦後」か。これは未亡人のおかれた境遇に差があるとする。

その他の軸としては、居住地が「都市部」か「農村部」か。これは「家」の問題や扶助料の受領に関する問題がかかわる。

 

さらに戦争遂行の時期によって、戦争未亡人の意識に変化か出てきていることを3期に分けて説明している。

<1期>
 軍人である夫の戦死を名誉と受けとめて、涙を見せない“あるべき姿”の「英霊の妻」像が描かれる。この中には日露戦争を体験し戦死した軍人未亡人像を家系として受け継いでいる場合がある。「戦死はもとより覚悟の上」とする。

召集軍人の戦死による未亡人が出現し、「英霊の妻」に倣おうとしている。  

<2期>
 戦死者は増加した。軍人未亡人は二極化する。保守的エリート層と革新的大衆層からなる。戦死した軍人が「護国の神」として靖国神社に祀られる「招魂式の儀」によって天皇に一命を捧げることを栄誉とする戦死の美化は、次第に国民全般の認識となっていく。

遺児の教育に熱心なのは共通する。息子を軍人にしたいという夫の遺志は戦時の国策と合致して、未亡人の子育てをいちだんと勢いづかせることになっていった。

  天皇制の最たる犠牲者が、だれよりも天皇制を支持するという不可思議な構図ができていった。

 <3期>
 軍人の戦争に対する意識の変化がみられる。1)滅私の精神で国家に献身する“あるべき姿”の理念と2)家族の生活のために懸命に働く“ある姿”の実態が遊離した。そのため戦時の女性は相反する2つの像を同時に抱え込まねばならなかった。

 

「敗戦によって、未亡人の境遇が名誉ある「英霊の妻」から見捨てられた戦争未亡人に一変した分岐点は、扶助料が停止された46年2月であった。扶助料の停止は未亡人から生活の糧を奪っただけではなく、夫の犠牲が正当に評価されず犬死とされることの二重の悲しみ、苦しみを与えた。」

 戦争未亡人自身が多くを語らない中で、扶助料と再婚、性の問題についてくわしく書かれている。再婚後に先夫が復員、義弟との結婚、「処女妻」の戦争未亡人、遺族扶助料受給争いなどについてである。

 

成田龍一氏はドメス出版の栞(2003.4)に書いている。

「「未亡人」という言葉は、「夫ト共ニ死スルベキニ、未ダ死ナズシテアル」『大言海』という語源をもっている。男社会の女性に対する抑圧性を、むきだしにした言葉である」と。

 

この文章を書いている私の母はまさに戦争未亡人である。この言葉を聞くのがいやでたまらないと何度も言っていた。著者の分類によると、夫は「軍人」、上の分類では「1期」に属する。「武人の妻」の心を失うことはなかった。

戦時中はわが子の教育に熱心であった。私も父の後を継いで軍人になるものと思っていた。私は戦争未亡人が手に汗して厳格に育てた子になる。私の勉強部屋には父が残していった遺書が額に入れて飾ってあった。それは無言のプレッシャーとなって私を監視していた。

戦後になって扶助料の支給が停止されたことはわが家に大きな衝撃を与えたようだった。それに世間の見る目が変わった。物がなく、インフレの中でどのような思いで生きていったのか、当時の母の厳しい表情を忘れることはできない。

 

天国の貴方へ

 もう一度あなたのうでに抱かれ、ねむりたいものです。

 力いっぱい抱きしめて絶対にはなさないで下さい。

 

戦争未亡人の夫への思慕がどれほどであるかは、81歳の柳原タケさんが平成7年に「全国恋文コンテスト」で大賞を受けている。夫との生活は2年3ヶ月であった。戦地の夫への手紙は「軍事郵便で検閲があったので、自分の感情は出せませんでした」という未亡人は55年後にその無念さを書き送る。」

「未亡人にとって夫への思慕は、月日の経過によって色あせるものではないことをこの「恋文」は教えてくれている。」

(2010.12.12)  森本正昭 記