「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 132
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竹内整一『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』
     ちくま新書、
2009

 

 

 

 

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最近「がんばって」という言葉が氾濫している。相手に対してがんばってというとき、意味のある場合もあるが、単に挨拶言葉であることも多い。別れの言葉としても使われている。この「がんばって」、過去にはそれほど使われていなかったと思われる。いつごろから頻繁に使われるようになったかをあえて考えると、日本が縮小しだした頃と一致するのではないか。それならばそれなりの意味はあるのかも知れない。

もう一つは戦時中のことである。先の戦争によって、人々は数多くの別離を体験せざるを得なかった。出征、戦死、家族・友人との離別、学童疎開、引き揚げと悲しい別れに事欠かない。

そのとき、別れる者たちはどんな呼びかけをしあったのだろうか。

特攻で出撃していく若者たちはどんな別れの言葉を使ったのか。決して「さようなら」ではなかったはずである。勇ましい掛け声もなく、離別の言葉は発せられた。

きわめつけは兵士が最後に発する「天皇陛下万歳」である。

 

本著のタイトルを見て手に取る。上のようなことにたぶん答えてくれていると感じたからである。内容は「さようなら」の語源を追求している。他の言葉「おのずから」と「みすから」との関係など深い追求がなされている。

まず著者は世界の主な別れの言葉を3つに分類している。

Good-bye  これは God be with you からくる言葉で、「神があなたとともにあらんことを祈る」、「神のご加護を祈る」という意味合いの言葉。

See you again これは「また会いましょう」という意味で「またね」と省略されている。

Farewell これは「幸運を祈る」という意味で、「お元気で」もここに入る。  

「さようなら」はこのどれにも属さない。ではどのように独特なのか。

その語源をたどると、日本人の死生観にたどり着く。それは無常観を基礎とした諦念からきているという。「さようなら」とは、「さようならなくてはならぬ故、お別れします」という意味である。一区切りを付けて次の道を歩むという区切りの言葉でもある。

「さようなら」を美しい言葉として挙げる人がいる。外国人にもアン・リンドバーグ(アメリカの女性飛行機乗りで紀行作家でもある)は「あなたの国には「さようなら」がある」と讃えている。

田中英光(太宰治に師事していた)は『さよならの美しさ』を書いている。「田中はリンドバークの文章を受けてサヨナラという言葉の美しさを強調している。それは「東洋風な諦念の美」ということです。古来日本人は、ある不可避な状況に立ちいたったとき、それを「そうならなければならないならば」と、静かに「あきらめ」、敢然と別れてきたがゆえに、その別れ言葉が「さようなら」になった。」というのだが、戦後になってそれを全否定する文章を書いている。

「「さようなら」とは、さようならなくてはならぬ故、お別れしますというだけの、敗北的な無常観に貫かれた、いかにもあっさり死の世界を選ぶ、いままでの日本人らしい袂別な言葉だ」として、「敗北的な無常観」「浅薄なニヒリズム」として断罪しているのだ。

田中の戦前と戦後の間に何があったのだろうか。著者・竹内によると田中が中国戦線で戦う中での彼自身の問題でもあった。「自分の殺した生温かい中国の青年の死体の顔を、自分の軍靴で蹴起しながら、「さようなら」とだけは心中に呟くことができた。戦争という運命がそうさせたのだと」。こんな体験が彼の考え方を変えたのだろうか。

 

挨拶言葉の語源としての追求ではなく、日常の記号化された挨拶語として考えてみる。戦時下の尋常小学校の国語教科書には、登校時には両親の前で深々とお辞儀をして「お父さん、お母さん行って参ります」と挨拶をしている絵が描かれていた。下校時には「先生さようなら、みなさんさようなら」と毎日言っていた記憶がある。そこに無常観があるはずもなく、挨拶はとても大切なことと教えられてきた。

次に障がい者と「がんばって」についてであるが、「障がい者は「がんばって!」という呼びかけは嫌いだという。この上、何をがんばればよいのということだと思う。ある障がい者は「気楽にいこう」が良いと言っていた。これも適切な言葉ではないように思える。なぜなら日本での挨拶や言葉使いは上下関係から複雑になっている。目上の人に「気楽にいこや」と声を掛けたら相手はあまりいい気はしないだろう。

ハワイのALOHA!のように何にでも使える言葉があるとよいと思う。それに障がい者を意識した、その場限りの言葉選びをすること自体、不自然である。」(森本正昭『響き会う共生社会へ』パレードより)

三浦しをん『神去なあなあ日常』には「なあなあ」という言葉がこの地域ではどんな状況でも使われる共通語として多用されている。これは挨拶語ではないが、「ゆっくり行こう」「のどかで過ごしやすい、いいお天気ですね」といった癒しの言葉であるらしい。ただしこれは架空の話なので、「なあなあ」も架空の方言なのかもしれない。

ALOHAもハワイでなければ、使えそうにない。要はそれぞれの地域でその風土に合った言葉が使われるのが良いことになる。

以上、著者竹内整一氏の著作の主旨から外れたことばかり書いてしまいました。お許しを。

参考>私は戦時の別離の言葉について、できうる範囲で調べてみた。特攻隊の物語や出征兵士の手紙、戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』などである。「さようなら」もあるが、一番多いのは「お父さんお母さん、どうぞ先立つ不幸を御ゆるしください」「気の毒なお父さんお母さんに恵みあれかし」といった表現である。話し言葉、書き言葉、挨拶言葉で言い方は異なるけれど、私が「さようなら」するだけではなく、父母や兄弟や恋人の心情を思いやる表現が多いと感じられた。

(2011.11.04)  森本正昭 記