「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 100
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面高直子 『ヨシアキは戦争で生まれ戦争で死んだ』 講談社、2007
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この本を読み始める前に、表紙を飾っているヨシアキの写真が目にはいる。ハンサムで優しい彼は誰にでも愛される人柄だったという。かすかに微笑むやさしい表情は何かを言いたげにも見える。 ヨシアキとはスティーブ・ヨシアキ・フラハティ、日本名は後田義明である。 彼は太平洋戦争後の混乱期に米兵と日本人女性との間に生まれた。このような境遇の子どもを引き取っていた孤児院、エリザベスサンダーホーム(園長 澤田美喜)で養育されていた。やがてアメリカに養子として引き取られ、スティーブ・ヨシアキ・フラハティとなって海を渡る。アメリカでの愛称がスティーブである。 この物語に登場するのは善意のある人々ばかりであるが、占領下に生まれた敵国の血を引いた子どもたちは、混血児として蔑まれた。母親は、冷たい世間の目や貧しい暮らしに疲れ果てると、子育てを放棄し、子どもたちをホームにあずけた。 養子として渡米後も、混血児と判ると、入学を拒否された。また育て親の家の隣人は、車に「リメンバーパールハーバー」のステッカーを貼り付けているなどといった環境にある。 著者・面高直子氏はヨシアキをめぐる人々の不思議な因縁というような書き方で、この物語を紹介している。特別な巡り合わせででもあるかのように、関係者はつながりあっており、それぞれ懸命に生きている人々でもある。その中心に誰からも愛される好青年のヨシアキがいる。 著者の夫はテレビのプロデューサーという立場からこのテーマに関わっている。取材許可をもらいにいったカリフォルニア州モントレーの陸軍基地の報道官は、偶然にも軍隊でヨシアキの部下であったという不思議さである。面高氏が亡くなった後、著者は夫の意志を継いで、ヨシアキをめぐる人々の不思議な因縁を追いかけ、本著を執筆している。 私はこの本を読む直前に、前掲の城戸久枝『あの戦争から遠く離れて』を読んでいた。背景は中国と米国とまったく違うにも拘わらず、戦争が生んだ悲劇としての類似性をひしひしと感じた。 スティーブの場合、恵まれた環境と、本人の大変な努力によって、スポーツ選手として成長していく。アメリカでの野球やフットボールの人気は大変なもので、スティーブの地元の高校や大学での活躍は、地元紙の記事を賑あわせるほどになっている。ついにプロ野球球団・シンシナティ・レッズのスカウトマンに目をつけられるところまでになっていた。 それでもなお、「僕はまだ、自分が何者にもなれていない気がするんだ。まずはアメリカ人としてのつとめを果たしたいんだ。」といって普通のアメリカ人になるため、志願して、拒否できるはずの兵役に就く。行き先にはベトナム戦争での22歳の戦死が待ち受けていた。 世間から蔑まれた見方をされていることから、脱却しようとして懸命に努力する姿を感じる。『あの戦争から遠く離れて』の中国残留孤児の城戸幹も同じである。 この本で特に切ないところを挙げてみる。 フラハティ家の育ての親・ルイスは“スティーブはこの家の自慢の息子だわ”という。 “ありがとう。僕はママとロンさん(義兄)のために頑張るよ”とスティーブ。 「これは、スティーブの心からの言葉であったろう。誰かを喜ばせるために自分がある。エリザベスサンダーホームの孤児たちは、いつもそうだった。大人たちの喜ぶ顔色を窺(うかが)って自分の喜びに替えていく。それは、生きるために染み付いた悲しい癖だったかもしれないし、愛されることを強く望む人間の性だったかもしれない。」 さらに最終章(母の涙)に至って、生みの親・後田ツギエが登場するところが最も切ない個所である。「ヨシアキは、それまでけっして誰にも言わなかったけれど、かあちゃんのことを覚えていた。別れたのは4歳の時であった。顔は鮮明には思い出せなかったけれど、覚えているいくつかの場面があった」という。 この本をもしツギエを主人公にして書いたらどうなっていただろうかと思った。 (2009.06.02) |