「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 161
Part1に戻る Part2に戻る
なかにし礼『戦場のニーナ』 講談社、2007
|
この小説はソ連に残留せざるを得なかった日本人の戦争孤児の物語である。 全編の背景に音楽が流れるように歌っているように存在し、この人を励ますかのように鳴り響いている。その構成は音楽に詳しい著者特有のものであろう。 終戦間際の満州に攻め込んできたソ連軍は、圧倒的な強さを発揮して日本軍を殲滅した。 ソ連の戦車軍団が轟音を響かせながら日本軍守備隊陣地に襲いかかったのだ。武器らしい武器を持たない日本軍はわずかな抵抗を示したがあえなく殲滅されていった。いつのまにか響き渡った轟音は消えて戦場を静寂が支配する。 聞こえてくる勝利の歌声の中で隊長ボルコフ大尉は「どこかで子供が泣いているぞ」と言って耳をそばだてた。そして女の子が救出されたのだ。兵士たちはその子にニーナ・フロンティンスカヤと名付けた。戦場のニーナという意味である。 ボルコフは第一赤旗軍副司令官ムラビヨフ中将に子供を発見するに至った経緯を説明した。 中国・牡丹江のトーチカの中で、生き埋めにされたにも拘わらず、奇跡的に生き返ったのだ。子供といっても1〜2歳の女の赤ん坊であった。(中国・牡丹江は著者の生地である) この小説、冒頭から音の世界が音楽的響きを予感させる。かすかな子供の泣き声と息づき、物語の進行につれ音楽が鳴り響いている。クライマックスの場面ではマーラーの交響曲2番『復活』が聞こえる。 どうして赤ん坊がトーチカにいたのか。そのトーチカには日本軍軍人の家族も逃げ込んだものと思われた。 野戦病院に運ばれて顔に負っていた傷の治療を受けた。敵国の子供のままでは不幸な目に遭うだろうことから、国籍は中国人の孤児として届け出でられた。 身寄りのない子供にはつらい日々が待っていた。 里親になってくれた夫婦はいたけれど、自分の子供ができたからと言って、あるいは戦地から帰還した夫が愛情のある接し方ができないという理由で見捨てられる。 親なしニーナ、名なしのニーナ、国なしニーナ、醜いニーナと歌うようにしていじめを受ける。 スターリン首相が亡くなったころ、まるで停電が終わった時のように街が明るくなったという。親身になって保護者になってくれたムラビョフが孤児院に尋ねてきた。お前に関する国の制約が終わったと言って、目の傷跡の手術も支援してくれた。 ムラビョフは妹のソーニャにニーナを育てることを依頼する。 ムラビョフにはこのあとも命の危機にあうたびに助けられた。 「ムラビョフがいてこそこの世に自分の命があり、ムラビョフがいてこそソーニャがいて、自分のその後の命が続いている。この二人とめぐり逢っていなかったら、現在の自分は存在し得なかったであろうと、ニーナは揺るぎなく思うのだった。」 ソーニャはルナチャルスキー記念国立オペラ・バレエ劇場でピアニストをやっていた。 ニーナもここでソーニャの指導によってピアニストの道を歩むことになった。 ニーナはこの時期、ダヴィッド・レービンという指揮者と激しい恋に落ちている。 このとき、マーラーの交響曲は激しく鳴り響き、二人はマーラーの『さすらう若人の歌』を歌っていた。ところがダヴィッドは単独で亡命してしまう悲劇がニーナを襲ったのだ。 なぜそうなったのか理解できなかった。 そのころニーナは中国人ではなく、ソヴィエト残留日本人孤児だったことが現地の新聞に報じられた。日本の厚生省は中国残留孤児の帰国調査を行っていたが、その一人として身寄りを捜すために日本を訪問している。でもニーナにとっては亡命した恋人の今の姿に出会うことが目的であった。 この小説のクライマックスである。 こんな日が来るなんて。今日まで生きてきて良かった。 身寄りのないニーナはこれまで自分はどこから来たのか、何処に行こうとしているのか悩み続けてきた。 マーラーは自分自身に「人生は生きるに値するか。値するなら死後にも意味はあるのか」と問い続けている。その苦悩の音調に魅せられて、ニーナはこの曲を愛してやまない。 信じなさい お前は意味もなく この世に生まれたのではない! 意味もなく 生き苦しんだのではないことを!
(2014.11.05) 森本正昭 記 |