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NHKスペシャル 『日本人はなぜ戦争へと向かったのか』
             テレビ、
2011.2.27

第3回 熱狂はこうして作られた

 

 

 

 

 

 

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NHKはなぜこの時期にこの古い問題を特別番組として放送したのかが気になった。直面する問題解決を歴史に学ぶという問いかけではないかとも考えた。進行する世界情勢と日本の立場について、内外ともに混迷した情況にあるからではないか。現在のメディアはどのようにこの問題に取り組むべきであろうか。

 

太平洋戦争開戦70年。戦争に突き進んだ背景に何があったのか。特にこの番組ではメディアが果たした役割について追求する。他に外交、陸軍の組織などが全4回にわたって放送された。

新聞は陸軍省のお先棒を担ぐかのように動いた。民衆を熱狂させ、やがてメディアと民衆の熱狂に包まれて開戦を決意することになる。

 このことに責任を感じて、敗戦時に辞表を提出した新聞記者もいた。武野武治(元朝日新聞社)はその一人であり、この番組の中で証言者として登場する。

軍による世論操作が行われた。最も効果的なのはラジオによる実況中継をすることだった。日本放送協会はナチスドイツの手法を研究しお手本にしたという。民衆は近衛首相の戦意高揚演説をラジオで聞いた。前線からは戦況中継が行われた。日本は国際連盟から脱退、三国同盟へと突き進んでいった。松岡外相は英雄視された。これを推進できたのは、事前にドイツの快進撃が盛んにマスコミよって報じられていたからである。民衆は熱狂の渦の中に引きこまれていった。さらには日米開戦を求める声が大きくなっていった。戦争を望まない人の声はかき消されていった。

熱狂は軍よりもマスコミがあおった、作られた熱狂であったのだ。

 

戦争に反対するような記事を社説に書けば、不買運動が起こり新聞社の経営が脅かされた。信濃日々新聞は果敢に軍部の暴走に対峙する記事を掲載したが、信州郷軍同志会という軍務経験者の団体に圧力をかけられ、主筆の桐生悠々は辞職、謝罪文を掲載せざるをえなかった。新聞社は不買運動には勝てなかったのだ。

 

このようなメディアの戦争責任はよく知られていることである。そのせいで戦後のジャーナリズムは時の政府に批判的な立場を取るようになったといわれている。それでも政治的な問題には一方に偏しない情報提供に努力しているかのように思われる。メディアの役割は国民が冷静にみずから判断できるような材料を提供することである。

 

最近の政治的な問題で国民が熱狂した(戦時中ほどではないが)ことは何度かある。田中角栄内閣が日本列島改造論を唱えたとき、小泉内閣が郵政民営化を訴えたとき、民主党が政権交代を訴えたとき、国民は次第にその渦に巻き込まれていった。マスコミもその役割を超えて熱中していたように思う。その結果はどうなったかを考えると結構むずかしい問題があることが分かる。国民は議論の渦に巻き込まれていったが、期待は少なからず裏切られる結果になった。

田中内閣、全国の土地の価格が急騰したが、バブル崩壊の悲劇が待っていた。

小泉内閣、改革!改革!と唱えた割にはなにも改革されずに、格差社会がいつのまにかできてしまった。馴れ親しんだ郵便貯金は投資信託に持っていかれ損をした人が多い。

民主党内閣、目指す方向に賛同した人が多かったにも拘わらず、実現することが少なく足元をすくわれた。貧しい階層が増加した。

メディアが時の政治に批判的な報道をすることが、政府の寿命を短くしているのではないか。世論調査で支持率が急落した首相の首が次々にすげ替えられていく。首相の任期が短いのは異常である。日本の政治に世界的な不信感が定着している。

マスコミ各社は批判だけでなく長期的な視野に立って政治を支援することはどうしてできないのだろうか。

(2011.03.05   森本正昭 記)