「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 152
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エヴァ・バロンスキー
松永美穂訳
『マグノリアの眠り』
                 岩波書店、
2013

 

 

 

 

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ヴィルヘルミーネは人の援助なしでは身動きすらできない寝たきりの高齢者である。その住処はドイツ、フランクフルトの郊外の農村地帯にある。主人公は91才、ここで一人暮らしの生活をしている。

いままで自力で動き回れたときには誰にも迷惑を掛けてこなかった自負があった。それに比べて今の状況は、寂しい、ほんとに寂しい気持ちになっている。

毎日の生活は「まるで一人きりで無人島に座っていて、向こうの海岸を見ているみたいだ。向こう側には人々が何人もいて、介護の義務から逃げ出そうとしている。ヴィルヘルミーネは沈黙し、静かにまたベットに寝かせてもらい、待つ、待ち続ける。それ以外に何ができるだろう?」

 遠く離れた向こう側にいる人々は、ヴィルヘルミーネの悪口を言いながら、それでも彼女の老後の年金をピンハネしたり、面倒を見なくてすむように、外国人看護士を受け入れることを思いつきその手配をした。

 

ことの重大さを知らない若い23才の女性、イェリザヴェータが収入を得る目的と都会暮らしを楽しむため、高齢女性の面倒を見にロシアからやって来た。訪れた場所はフランクフルトといっても都会ではなくドイツの農村地帯であった。

 それでも今までの経験で、この仕事をやっていける気がしていた。さっそく患者の身の回りの清掃や食事、部屋の片付けを手際よくこなしていく。 

「はじめはうまく行くかに見えたこの仕事は、ヴィルヘルミーネの突然の変貌によって、罵(ののし)られることになった。それはしだいに我慢の限界を越えていった。なぜと問いかける余裕もなく、患者の罵倒に耐えていくことは難しい。長期のバイトを覚悟していた身にとっては,耐え続けることはできず、罵倒する悪態語を返すことになっていく。」

容赦のない罵倒には思い切りの悪態語できり返していった。

プロクヤータ フィーニャー (くそくらえ!)

ダー、 パシラー トィ ヒーイ!(もう、お前なんかくたばれ!)

ア、ブリヤーチ!ヴィ ジェ フセー アジナーカヴィエ、ク チョールトゥ ヴァス フセフ(このあばずれ!どいつもこいつも悪魔に喰われちまえ!)

 

ヴィルヘルミーネは最初はこの娘の心遣いの良さを感心していたのだが、出される料理がロシア料理であると知ると、まったく手を付けようとしなくなった。なぜなのか判らなかったが、その切っ掛けはイェリザヴェータが実家の母に携帯電話で話しをしているとき、その娘はロシア人であることが判ったからである。戦時中ロシアの兵隊がドイツに侵攻し、ドイツで乱暴と掠奪を行った記憶が蘇ったのだった。ドイツの女性はことごとく蹂躙された上で殺害された恐怖の記憶を忘れることができなかった。

状況が飲み込めると次第に受け入れる場面ができてくるのだが、それでも和解することは決してない。

 

動かない老人はよく夢を見る。悪夢がしばしば現れては苦しめる。

夜ごとの叫びの中に「ギゼラ」という名前が出てくることをイェリザヴェータは知ることになった。

ギゼラはヴィルヘルミーネのかわいい子供なのだが、どのような状況の中で亡くなったかが多様な悪夢、妄想、の中で展開する。これはヴィルヘルミーネにとって耐え難い苦しみであった。

ロシア人に蹂躙された。自分が殺した。睡眠薬を飲ませたときのこと。

もう半世紀も教会に行っておらず、神に語りかけることもなかった。

もはや反抗心もプライドも見せずに彼女は横たわっていた。

 

秘密が明かされるクライマックスに向けて、巧みな場面転換を取り入れながら、じわじわと緊張を高めていく。それがこの小説のエッセンスである。まじめな読者には読解に手こずるところである。現実ではなく、記憶であり、妄想であり、悪夢であるからだ。

実際には何があったのかは読者の想像にまかせられる。隠れていた地下室にロシア人が踏み込んできたのではない、ヴィルヘルミーネもギゼラも乱暴されたのではない、ロシア人が村の家々を嗅ぎ回っているときに、ヴィルヘルミーネがギゼラに睡眠薬を飲ませたと私には読み取れたのだが。

介護するイェリザヴェータの皮肉混じりの呼びかけにも「ヴィルヘルミーネは弱々しく首を振り、ほほえもうとした。そして、眠りの底に沈んでいきたいと思った。」

 

マグノリア?とは白い木蓮のことで、その花がこの本の表紙を飾っている。花言葉は「威厳」。見捨てられた高齢者に残っている「威厳」とは戦時の悪夢と戦うことでいまなお保持されているということであろうか。

(2013.11.25)   森本正昭  記