「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 137
                         Part1に戻る    Part2に戻る

チャールズ・ハペル
『ココダの約束』
    遺骨収容に生涯をかけた男

丸谷元人(監修) 北島砂織(訳)
ランダムハウス講談社、
2009

 

 

 

戻る

  

これは遺骨収容に生涯をかけた男―西村幸吉氏の物語である。

 

この本の表紙・折り返しに、西村は「遺骨収集」には大変悲しい思いをしている。「遺骨収容」というべきであると釘をさしている。厚労省はいまだに「収集」という言葉を使っているが、戦死者をゴミ芥同様に扱っていると解釈せざるを得ないとも書かれている。

 

著者はオーストラリア・メルボルンで活動しているジャーナリストであるが、彼がパプアニューギニアのココダ街道を通ったとき、その山中に建てられていた慰霊塔とその建立者(西村)に強い興味を覚えたという。著者は日本人ではないことが注目される。

内容は実に奥深く、読みがいがある。波乱に満ちた凄まじい人生であることに読者は感嘆する。

本の中にパプアニューギニアの地図があり、本に出てくる地名はこの地図で見当がつく。私は何度もこの地図のページを開いて現地を想像することになった。

 

戦時、西村が配属されたのは歩兵第144連隊で、南海支隊として知られた精鋭部隊のの基幹部隊となっていた。これは師団の指揮下ではなく、大本営直轄部隊である。

ココダとはパプアニューギニアの東南端に近いココダ街道のことで、ココダ作戦は日本名ではポートモレスビー作戦ともいわれていた。

ここで米豪連合軍と日本軍との熾烈な戦いが行われ、日本軍は撤退を余儀なくされるのだが、西村の所属していた小隊は彼を除いて全滅したという。

西村はその後、ブナ、ギルワという海岸地帯におけるさらに激しい地獄を生き抜いた。

彼はココダ街道の激戦の中、次々と倒れていく戦友たちに、「死んだら必ず遺骨を拾ってやる」との約束をする。「いつか必ず、オレはお前たちのために戻ってくる」とも約束した。

 

 

日本は戦後めざましい発展を遂げるのだが、西村は帰還後、40年を経て、繁栄していた日本から敢えて去り、家族と縁を切ってまで単身ニューギニアに戻ったのである。それはかつて戦友たちと交わした約束を果たすためであった。

そして私財をすべて投げ打って25年間も一人で遺骨を収容し続けてきたのである。

 

「西村は戦場の仲間たちに借りがあるように感じていた。」自分が生き残り、彼らは死んだという事実の裏に、彼らに助けられたことも多かったからと告白している。激戦の最中に自分の身を守るよりも他人の危機を助ける勇気のある兵士が何人もいた。このことは約束を守る大きな原動力になっている。そんな彼らのことを、一生忘れることはできなかった。

「日本帝国陸軍は将兵に、戦時中配られたすべての書類を返却するよう命じたが、西村は自分の資料を取っておいた。戦死者名簿、地図、戦闘詳報、作戦命令に関する資料、などをシャツの下に隠して日本に持ち帰った。

これが後に「歩兵第144連隊戦闘記録」という公式記録の根幹をなした」という。

 

西村の行動は確かな信念に支えられているので、揺るぎない。交渉の相手はこれは議論していてもらちが明かないとみるので彼の言い分が通ってしまう。強烈な性格の持ち主である。たとえば、

地雷探知機を防衛庁から買い取った。防衛庁の職員はそのしつこい要求に根負けしたのだ。

ニューギニア行きの計画は妻と3人の子供との幸せな生活をぶち壊し、家族とは離別する結果となった。

収容活動に船舶が必要になると、船舶免許をとり、船を買い航海の経験がないのに遠距離航海に出る、そして無事に目的地に着く。無鉄砲であるだけでなくこの話を聞くと笑ってしまうくらいだ。

 

これらには彼自身の強い意志が働いているが、力と運だけではない。死亡した戦友たちが力を貸しているのではないかと思えると著者は述べている。

 

ところで西村がニューギニアに戻ってみると、「日本兵の頭骸骨や骨、それにピストルや刀など戦争の遺物を陳列する気味悪い商売が北部の海岸のあちこちにできあがっていた。それら遺品を旅行者たちに見せて金銭を要求しているのである。」

「日本政府はこの行為に目をつぶっていた。かつて日本のために戦った栄誉ある兵士たちの遺骨が見世物になっているのに見て見ぬふりだった。この愕然とするような日本政府の怠慢振りに、西村の血は怒りで煮えたぎっていた。」

 

また遺骨はパプアニューギニア国の所有物とされており、どのような理由があっても持ち去ることは出来ないという制約があった。

 

私は「遺骨収容」の本当の意味について知りたいと思っていた。それでこの本に深い興味を寄せて読むことになった。

外地で戦い戦死した兵士の墓には遺骨も遺灰も遺品もない場合が多い。これらがないと英霊をお祀りすることができないはずなので、西村は遺骨を遺族に返還することに懸命になった。日本政府がDNA鑑定をやってくれないかとまで考えていた。しかし「遺族の分からない場合には遺骨はすべて荼毘に付されてから包みに納められ、日本に戻されて東京にある無名戦士の墓地である千鳥ヶ淵に納められた。」

西村の所属部隊には四国・中国地方から召集された兵士が多かったことから、西村は遺族の家を訪ねまわり墓の所在まで確認するため墓参をして廻っている。それが終わるとやっと約束を果たしえたと安堵感に包まれるのだった。

この本によって「遺骨収容」の意味が少しは理解できるようになった。

(2012.04.03)  記  森本正昭