「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 115
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鹿野政直『兵士であること』 朝日新聞社、2005 ---動員と従軍の精神史
カバーの装画は
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この本の中に、「軍陣医学」という用語を使った小論が含まれている。知らない用語であったので内容を精読した。また辞書や他の文献を参照することとなったが、理解することはできなかった。 用語解説では、「軍陣」とは軍隊の陣立てのこと。「軍陣医学」とは軍隊の保健・衛生、戦傷病の治療・防疫など軍隊を対象とする軍事医学の総称と説明されている。 この本のなかで、軍陣医学の権威者とされる小泉親彦が「衛生学に国境はないが、軍陣衛生学には厳然たる国境が存在する」と位置づけていると書かれている。その違いは説明されていないので、ますます分からなくなってしまった。 文献やインターネットの解説を参考にした結果、私なりの理解をすることとなった。 これは「戦争のための医学」で、戦時における治療、たとえば弾丸が顔面に食い込んだときの抜き方。防疫では伝染病の発生と予防、戦地独特の病気として、マラリヤ対策なども該当する。性病の予防、慰安所の開設も重要事項だったようだ。 満州事変では関東軍防疫給水部ができ、毒ガス兵器開発の研究をしていた。石井四郎は化学兵器、生物兵器の有効性を主張し、通称『満州第731部隊』を指揮し、人体実験を行ったとされるが、確証はないともいう。 実戦的な対処法以外に戦争事態でしか発生しないような事柄での人間への影響を研究することが目的である。健康回復や予防だけでなく、その反対の健康破壊や死滅も対象になる。人体実験すら想定される。 平和時には義肢、義眼、人工皮膚、人工臓器、快適な衣服、移動システムなどの研究開発に役立たせることができるというのだが。 何か恐ろしい世界に顔を突っ込んだ感じがした。野戦病院では消毒設備のない状況下なので、縫合を考えず、麻酔もかけずに四肢を切断することをよしとしていた。病院施設もなく、医薬品のない敗退する戦場では、軍医は荒っぽい対応をするしか生きる道はなかったのだ。輸血する血液不足から、中国人苦力より給血したほか、屍体血液、異型血液、馬血液まで試みられた。 細菌兵器を開発していた通称731部隊と石井四郎隊長がこの本の中にも登場する。軍陣医学の分野では大変な貢献者ということであろう。 この本、『兵士であること』には「一兵の覚悟…宮柊二の戦場詠序説」と「取り憑いた兵営・戦場…浜田知明の戦後」が前半部を占めている。彼らは軍隊の身分としては、士官になれたにもかかわらず、幹部候補生になることを拒否し一兵士として従軍した。そしてつらい軍隊体験の中を生きた。それを短歌や絵に表現している。 「宮柊二は「兵隊と人間がひとつ」であることを希求した。斃れた戦友への鎮魂の歌がもっとも多い。」歌集『山西省』に所収の作品が紹介されている。 浜田知明は、代表作『初年兵哀歌』や『風景』の作品が文中に掲載されているのでその独特の世界を味わうことができる。「兵士であった己を「一個の人形」と呼び、兵士を「芋虫」として描いた。」 彼らも軍陣医学のお世話になったに違いないが、精神的な世界では戦争の後遺症に悩まされて戦後を生きている。それが作品を生んだともいえる。 (2010.04.09) 森本正昭 記 |