「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 112
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英夫『特攻隊と憲法九条』
 リヨン社、2007

 

 

 

 

 

 

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「戦争は、いつのまにか、見えないかたちで、やってくる」と副題に書かれている。それは過去の歴史が物語っている。

 

「戦場に向かった学徒の数は約10万から13万人。若者たちを二度と戦場に立たせ、血を流すことを許してはならない。」と表紙の折り返しに書かれている。著者は学徒出陣で震洋特攻隊の生き残りだという。

 

「ほんとうに怖いことは、最初、人気者の顔をしてやってくる」

小泉内閣は郵政民営化という限られた国内問題を中心課題にしていた。大変な人気者の顔をして登場して来た。推進者たちはただ改革改革を繰り返し叫んでいた。

小泉内閣発足以来、テロ特措法、イラク特措法などを成立させ自衛隊のイラクへの派遣を実現した。それに続く安部内閣では教育基本法改正、防衛庁を省に格上げ、国民投票法案を強行採決、在日米軍再編推進特別措置法を成立させるなど改憲を画策していたのは明らかである。

著者はこれらの方向性に危険なものを感じ取っていた。それは戦争を体験した者でないと理解できない感覚なのかもしれない。国会議員にも戦争を知る世代は極めて少なくなっており、著者の論述に耳を傾けなければならない。

自分が「戦争の語り部」になって、「戦争の実態を話すと同時に、日本が『戦争をしない国』になった経緯や意味を、若い世代に伝えていきたい」と語っている。学徒出陣から特攻隊員となった戦争体験を語る国会議員は貴重な存在であった。

 

これからの戦争では、「戦場に行く」という感じではなく、普通の市民でも突然、戦争に巻き込まれることがあると思う。見えないかたちでやってくるのである。

 

かつて田英夫氏はベトナム戦争を北ベトナムに行って取材し、『ハノイ 田英夫の証言』という番組にして放送した。その頃のニュースキャスター振りが思い出される。当時、日本のベトナム戦争報道はアメリカからのニュースがほとんどを占めていた。

ところが北ベトナムに行ってみると、様子が違っていた。しかしこれが原因で、政治的圧力によってニュースキャスターを降板せざるを得ないところに追い込まれてしまった。その後は国会議員としての活動がつづくが、一貫してリベラルなジャーナリストとしての主張を貫いてきた。

もっと聞きたい田英夫の話であるが、残念ながら、著者は20091113日、86歳で亡くなっている。私はちょうどこの本を手にした頃だったので、特に印象が深い。

 

この本は若い人向きに書かれた、やさしい本である。ぜひ読んでいただきたい。そして日本は「不戦国家」であるということの意味を理解してほしい。

「日本国憲法第九条は、著者にとっては、あの戦争で死んでいった多くの戦友たち、とくに特攻隊の仲間たちのの『無念の思い』の結晶だということを…」

戦没者慰霊について「日本国憲法が今後も守られるかぎりは、新しい戦死者、戦争犠牲者、戦没者はでないのですからもう新しくまつる人はでないはず」と述べている。

(2010.01.16)  (2017.04.12) 森本正昭 記