「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 116
Part1に戻る Part2に戻る
小澤真人、NHK取材班、『赤紙』 男たちはこうして戦場に送られた 創元社、1997
|
赤紙とは軍隊への召集令状の通称である。赤紙が来ると、国家の命令を前にして、おののきながらも黙して従う他はなかった。この命令が来る人と来ない人があり、来る人には数回も来る場合があった。その仕組みはどうなっていたのか。この本が詳細を明らかにしてくれている。 「人は集めようと思えばいくらでも集められる」これが軍首脳の考え方だったようだ。 どこの誰を召集するかの決定は役場の長と兵事係が行っているものと思っていた人が多かった。あの松本清張氏ですら、『遠い接近』のなかで、兵事係と役場が直接、召集者を決定していたと考えていたようだ。この小説の主人公は自分を軍隊に狩り出したのは誰かを手を使って探り当てている。 本著は完全な形で残された兵事資料8000点と生存者の取材を行うことによって、戦争に男たちを狩り出す仕組みを解き明かした労作である。こうした兵事資料は、敗戦直後に軍から消却命令が出て消却しなければならなかった。しかし貴重な資料が奇跡的に温存されていたのである。 その舞台は富山県の庄下村(現在は砺波市に町村合併)で、兵事係を務めていた出分重信さんは、重要書類を消却せずに自宅に密かに持ち帰っていた。庄下村は終戦当時、戸数250戸、人口1200人の小さな村だった。 出分さんの言い分はこうである。 「村人の命に関わる資料を焼けというのは、5年間の職務をすべて否定し、葬り去ることを意味した。同時に、国家のために戦った戦死者の記録も葬ることになる。それもたった一本の電話で」と。 各市町村の兵事係は、この職務に心身を酷使したものと想像できる。それで出分さんは焼却命令に従うことができなかったのだ。その結果、日本全国で唯一残された貴重な資料となった。(現在は砺波市の郷土資料館に保管されている。その資料館はチューリップ公園の一角に位置する。) 誰を召集するかは兵事係が書き込んだ「在郷軍人名簿」をもとにして、軍が決定していた。赤紙を召集対象者に持参したのは兵事係であったが、直接、兵事係が決めていたのではない。 多くの疑問が湧いてくる。 どんな種類があったのか。召集機会は平等に割り当てられたのか。赤紙からのがれたのはどんな人々だったのか。逆に何度も赤紙が来た人とはどんな人だったのか。どんな特殊職種、技能を持った人が召集延期になったのか。軍隊への志願者を集める宣伝広報活動はどのようになされたのか。軍の動員計画とはどのようなものだったのか。盛大な見送りを受けた人とひっそりと家を出た人がいたのはなぜか。馬も召集されたと言うが。 これらの疑問は当然のものであるが、ここでその解答を書くつもりはない。著作を紹介する場合のルール違反であると思うからである。原著をお読みくださいということになる。忘れてはならないことは、戦時日本の総力戦体制のもとで、人の動員が有無を言わせず行われていたことである。 ところで今日、富山県砺波市はチューリップの球根栽培で特に有名である。私はこの本によって、チューリップが戦争と深い関係にあることを知らされた。その個所はわずか6ページでしかないが、感動的ですらある。 村人がチューリップ栽培を開始したのは、大正期の半ばであった。貧しさから抜け出すため、水田の裏作に適した作物ではないかと始まった。 オランダ産の球根に負けないためには、長年にわたる品種改良が必要だった。それが実現し対米輸出が叶ったときの村民の喜びはひとしおであった。しかし梱包した球根が神戸港に運ばれたとき、突然の日米開戦となり、夢は挫折してしまうのである。村人の落胆は想像を絶するものであった。やむなく球根を食用にしようとしたが食べられる代物ではなかった。多くの村人がチューリップ栽培を諦めたのだが、少数の村人は球根の保存を忘れなかった。それが戦後まで生きのび、今日のチューリップ大国の基礎になった。 「戦争は庄下村の風景を変えた。男たちの姿が消え、チューリップの花も見られなくなった。問題は原種の保存だった。いずれまた栽培を本格的に始めるときに備えて、毎年球根を作り続けねばならない。」「それを中断すると、球根が絶えてしまい、原種がなくなることを村人は恐れた。…いずれやってくるであろう平和な時代に向けて、苦しい戦時下の生活の中で、栽培農家の努力が続けられたのである。」 「やがて戦争が終わり、村には戦地から兵士たちが帰ってきた。人々は、戦後の村の復興はチューリップからと、一度挫折した夢に改めて取り組み始めた。村人はチューリップを“平和の象徴”と思って慈しんだという。」 「その後、『富山チューリップ』として全国的に有名になった、春先には庄下地区には花が咲き乱れる。赤紙によって戦地に行き、命を落とした男たちの夢が込められている。」と著者はこの章を結んでいる。 (2010.05.19) 森本正昭 記 |