「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 130
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菊池信平(編)『昭和十二年の「週刊文春」』
       文芸春秋、2007

 

 

 

 

 

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昭和12年は日支事変が起こった年である。北京郊外廬溝橋で日中両軍の間に小規模の銃撃戦があったのが起点である。この年から日本は泥沼の日中戦争へ太平洋戦争へと巻き込まれていく。これ以降誰もそれを止めることはできなかった。

この年の週刊文春があったら面白いじゃないかという制作意図だと思う。編集者は菊池信平っていうおかしな合成名である。情報ソースは当時文藝春秋社が発行していた月刊誌「話」(期間は昭和12年1月から同13年4月まで)から取っている。「話」はニュースの裏側をわかりやすく解説するのが特徴で、後の週刊誌の発想に繋がっている。

個人的なことながら、私は昭和12年生まれである。自分の親世代が当時どんな生活をし、どのようなことを感じていたのかに強い興味があった。

この本に目を通していくと今日の週刊誌とは似ていないが同系色ではある。

興味が持てたのは読者の発言を読むことの出来る『緊急アンケート、人民投票』というコーナーである。この時代の人々が何をどのように考えていたのかを怒声や嘆きを含めて知ることができる。それにしても人民投票とは恐れ入った表現である。現代風に言えば、「読者の意見」「読者の投稿」ということであろう。なるほど現代中国と同じで統制の効いた国民のことを人民というのだろう。方法は愛読者カードの中から適当に対象者を選んで質問をし回答を求めたものである。

次のような質問がある。(文字および文章表現は原文のまま)

最近日本の外交政策に就て、例えば日独協定、日支交渉等
    戦争になったら何うするか
    物価騰貴で何を節約したか?
    現代政治家中で引っ込んでもらいたい人、出て貰いたい人
   会ってみたい人、話したい事

    支那へ与える日本人の言葉
    日支事変に際し政府に望む
    オリムピック東京大会は中止すべきや否や
    ダンスホール、パーマネントウエーヴ禁止の可否

  回答の事例をあげると次のようなものがある。

「戦争になったらどうするか」

万一戦争が始まる様な事があれば真先に良く気を落ち付け家人にも騒がさぬ様にして其の筋の指揮者の命令を待ち良く守ること。もしガスの襲来があればできるだけ高い所に登り(二階等)タオルをしめして口にあて一時ふさぐこと。これは戦争中に限りませんが自分は日本人であると云うことを何時も念頭に置き行動すべきだと思う。日本人全体が以上のような気持ちで居るなら戦争何ぞ恐るゝに足らんやです。(香川県の読者)

「物価騰貴で何を節約したか?」

これまで、ぎりぎり一杯にきりつめた生活でしたから、今更物質的に節約の余地を見出し得ません。従ってこの御時世に、せめて言葉数でも節約しようと、毎日むっつりと黙っている次第です。うっかり無駄口も叩けないではありませんか。(兵庫県の読者)

「会ってみたい人、話したい事」

会ってみたい人としてヒットラー、蒋介石、飯沼正明があがっている。飯沼は東京・ロンドン間を94時間17分で飛行した英雄として時の人になった。

「オリムピック東京大会は中止すべきや否や」

なんだ。現在と同じテーマじゃないか。

  忍び寄る暗い時代の到来に不安を感じながらも、まだ深刻ではなく、戦争を他人事のように感じている。人々の暮らしはまだ豊である。時の指導者の世論操作やメディアの論調に同調する意見が多い。だいたいはその生き方を為政者にまかせきっている。

  雑誌全体の印象では広告がごく少ない。広告や時のスローガンがもっと掲載されていると生活実態が把握しやすいはずである。

  ところで週刊誌が創刊ブームになったのは、昭和31年から昭和34年にかけてである。週刊文春は昭和34年4月に創刊されている。ブームをよんだのは皇太子妃ご成婚にかかわるミッチーブームによる。戦中戦後を通して恵まれない生活に甘んじてきた女性達はシンデレラの登場を機に変身していく。

『付記』のエピソードが印象深い。

池島信平氏入社から四年目、社の業績が好調で、月給もどんどん上がった。この年、結婚し新婚旅行に旅立った。上野から汽車に乗ったのだが、二等車はすでに夥しい白衣の軍人で埋まっていた。北支から送られてきた傷病兵の第一陣であった。
 池島が幸福を感じていたとき、日本はすでに容易ならざる時代を迎えていたのである。編集者はこの変化を感じ取り活かして行かなくてはならない。

  人々は未来はいつも楽しくありたいものだと思っている。しかし未来はいつも短期間にやって来る。次々と新しいものに塗り替えていく。

菊池信平氏は今後どう対応しようというのだろうか。

 (2011.09.11)  森本正昭 記