「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 170
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山崎まゆみ
『ラバウル温泉遊撃隊』

     新潮社、
2009









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 このタイトルからは本の内容を推察しがたい。かつての軍国少年である私にはラバウルといえば、大日本帝国の太平洋における最大航空基地であったことを思い出させ、それとラバウル小唄の一節が口をつく。しかし戦争と温泉はどうも結びつかないですよね。

 

著者の山崎さんは温泉ライターだそうで、世界中の温泉に入り、しかも混浴の旅をすることがライフワークという、何とも楽しい人である。戦争と温泉という組み合わせが面白くてこのテーマに飛びついたという。

祖父の思い出の中にある、戦時中でありながら温泉に入る日本兵の姿に思いを馳せているのであろう。戦地という極限状況の中で、温泉に入った兵士たちへの関心が湧く心情は理解できる。戦後50年を経過してから、旧戦地に出かけていき、初対面の人と露天風呂を共にすることで忘れ得ない一期一会を得る。これぞ日本の本来の温泉の姿だと著者は確信している。

 

ボルネオ島で温泉に入ったときのことだ。現地人に「わたしと一緒にお風呂に入ってください」と声をかける。相手の女性はきょとんとしてじろりと見かえした。そして「いいよ」という。それだけで親しい関係が生まれるのはすばらしいことである。

南の国の人々は暑くて臭いの強い湯に入る習慣がなかった。しかし戦時に日本兵が入浴しているのを真似て温泉に浸る楽しさや効用を知ったようである。皮膚病に効くのだ。日本人が温泉に入る習慣を広めたのである。それ以前に支配者であったオーストラリア人やドイツ人と違って、日本人が好かれた理由がここにあるのではないか。

 

太平洋戦争中、日本兵が入った温泉には「ここは日本人が見つけて入浴した温泉」という石碑が立っているところがある。

ボルネオ島、戦争中に温泉か、変な話だ、それでも面白いなと感じさせる。

 

日本人は温泉の伝道師だったのではないか、と彼女は言い、誇らしい想いが胸いっぱいに広がるという。

温泉の石碑の中には、日本の地名や氏名や部隊名を書いてあるものもあった。これは落書きではない。大切なメッセージを発信しているようにも見えた。これを見ると次第に切ない感情が湧いてきたという。

 

本題のラバウルであるが、ラバウルはパプアニューギニア領・ニューブリテン島の都市である。火山の島である。良港シンプソン湾と、花吹山はラバウルの象徴といえる。現地名はタブルブル山、日本名はだれが命名したのであろうか花吹山である。そして花吹温泉はラバウルの突端の海岸沿いにあった。これは海中温泉であるようだ。しかし日本人がここに入る光景がどうもしっくりこない。不思議さと違和感に興味を抱いたというのだが。

さらにジャングルの奥にあの富山県の宇奈月温泉があると聞いていた。これは本当の話であろうか。著者の興味はこの宇奈月温泉に集中していった。あらゆる手がかりに期待を掛けていく。  

 

『ラバウル戦友会名簿』約300名一人一人に連絡を取ろうと試みたけれど、半数の方は既に亡くなられていた。生きておられる方も会話ができないという方も多数いた。成果は得られなかった。古書店をあたり、ラバウルに関する戦記を求めてはその中に何らかの記述がみつかるかも知れないと期待する。これも無駄であった。愛知県軍恩連会長や『ラバウルの戦友』という冊子を書いた人にも会ったのだが、単に幻であったのか、宇奈月温泉は見えてこなかったのだ。

 

靖国神社の権禰宜さんにも面会をした。その後ニューギニア航空日本支社を訪ねた。ここで現地でトーライ族のフィールドワークをしている日本人に会い、『要図ラバウル周辺』にめぐりあう。これは日本人が作った当時の現地の地図であった。その地図の中に宇奈月温泉と書かれているのを確かめることができた。しだいに宇奈月温泉が見えてきたのだ。そしてついに『歩兵第228連隊史』の中に「温泉遊撃隊隊長伊神実」を見いだすことに成功する。その隊長さんに面会することができたのも幸運なことであった。

 

ここまで来ると、ジャングルの奥地を踏み分けて、宇奈月温泉に行くことは、もはや使命だった。あの土地にもう一度立ちたいと願う元日本兵にラバウルや宇奈月温泉の話を聞かせてあげたいという使命感に燃えてきたのである。

日本人はどんな時でも、嬉しいときでも、辛いときでも、死を目前にしても目の前に温泉があれば、つい入ってしまう。伊神さんは敵に見つかっても温泉に入りたかった。温泉の気持ちよさと開放感によって、深刻な状況からほんの一瞬でも逃れることができるという。

 

この使命を達成することは誰にも頼まれたのではない。困難が予想される。しかし私の胸の中でどんどん大きくなっていった。私がやらなければ埋もれてしまう歴史の断片である。

知りたいこともあった。ラバウルの人々、自分たちとはまったく関係のない戦争をするために、日本人部隊は自分の国に土足で入ってきたのだ。そんな状況の中で、現地の人々は戦争の真只中に温泉に入る日本人をどう見ていたのか。確かなことは、日本人は温泉に入っていたからこそ生きながらえたのだ。温泉に入り元気づけられていたと思う。死が近づいていたから、ほんのひと時のハママス(幸せ)を楽しんでいたのだと。そう答えるに違いないと著者・山崎まゆみさんは想っていたに違いない。


(2016.02.17)  森本正昭 記