「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 182
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NHKテレビ アメリカと被爆者(シュモーさんを探して)

シュモーに学ぶ会(編)「ヒロシマの家」-フロイド・シュモーと仲間たち





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 広島に原爆が投下されてから5年後、一人のアメリカ人が住まいを失った広島の人々のために家を建てる活動がスタートした。その人の名はフロイド・シュモー。このプロジェクトには日米の多数のボランティアが参加した。最近になって知名度が高まっているが、本当?アメリカ人が!と驚く人も多い。敵国人のために家を提供するという意図は理解されなかったと思う。ところがシュモーは未来のために大切なことになると信じていた。多くの人に支援を求める手紙を書いた。被爆地で家を失った人のために新しい家を建てることを支援してほしいと訴えた。昭和天皇にも手紙を書いている。その手紙は侍従長を通して天皇の目にとまった。

シュモーは1895年カンザス州の農場で生まれた。キリスト教クエーカー教徒の家庭で育っている。シアトルのワシントン大学で学び教鞭をとった。1914年第一次世界大戦が始まると、良心的兵役拒否の道を選んだ。兵役拒否をしても赤十字を支援するボランティアとしてフランス戦線に参加している。当時ヨーロッパの各地は言葉にできないほどの荒廃と破壊が進み、命のかけらすら見えない状態になっていた。

 シュモーの活動はこの頃から始まっている。ドイツから逃げてきたフランス人のために家を建てる活動を行っている。ここでシュモーは戦争の現実を目にし、復興の在り方を学んだのである。

1941年12月太平洋戦争が勃発すると、アメリカの西部に住む日系人は敵性外人として強制収容所に収容されることになった。シュモーはこの政策は非人道的であるとして受け入れられないと反対の意思を示した。信念に基づき行動する。沈黙することはこの政策を認めることになると言って、日系人を支援するクエーカー教徒の組織に参加した。そのためFBIの監視対象になったという。また狂信的な平和主義者のレッテルを貼られることになった。

シュモーは広島と長崎への原爆投下のニュースを聞いたとき、ただちにこれに反対する意思を電報でトルーマン大統領に送ったという。トルーマン大統領は「原爆を投下したのは戦争の苦しみを早く終わらせるためであり、これによって数えきれないほどの若いアメリカ人の命を生かすためであった」との弁明をしている人物で、この考え方を信じているアメリカ人は今なお多数に及ぶ。

終戦後、日本に行く道は民間人に閉ざされていた。厳しい検閲のもとでも広島行きの思いを募らせていった。例外的に許されていたのは復興支援団体(LARA)で、家畜の世話(ヤギの乳搾り)係として1948年に日本に上陸することができたというのはたいへん興味深い話である。彼の意思の強さを具体的行動によって示していると思う。

 

ヒロシマの家の建設現場に掲げたスローガン

1 お互いを理解しあい

2 家を建てることによって

3 平和が訪れますように

広島に建てられた総戸数は21軒である。そのうちの1軒が広島平和記念資料館の付属展示施設(シュモーハウス)として、移築・保存されている。

 

「平和運動は話をすることではない、行うことである。」

「戦争で一番深刻に傷ついたのは国家ではない、都市でもない、ただ個人である。」

戦争は国家間の問題解決にはならない。犠牲になったのは市民である。市民を標的にした攻撃は残虐であるとした。

 

シアトルにあるピース・パークは1990年にシュモーが実現した公園である。そこには佐々木禎子さんをモデルとした等身大の像が建っている。千羽鶴を折って自分の病気回復を祈った少女である。その像の手が切られるという事件が2度も起きている。そのたびに募金によって修復されてはいるが、そこには原爆投下に対する根深い問題が隠れているのではないか。

 

シュモーは長崎でも家を建てるプロジェクトを実行に移している。ジェームス・ウィルソン(愛称ジム)は家づくりの現場を任された。出来上がったシュモー住宅には、子供が2人以上いる未亡人の方から入居者が選ばれた。父のいない子がたくさん集まる住宅となったが、ジムさんはうちとけた雰囲気で、子供たちは仲良くジムさんは戦災孤児をかばい親父のように慕われていたという。

シュモーは参加したボランティアに強い影響を与えた。戦災地に一緒に行って、一緒に仕事をするのである。

シュモーに学ぶ会(編)の「ヒロシマの家」にはこのプロジェクトに参加した人々や関係者が尊敬の念を込めて思い出を語っている。 

シュモーの功績は書ききれないほどである。しかも奥行が深い。

人間の歴史を見ると、いつまでたっても互いの殺し合いをやめようとはしない。野蛮である。過去の歴史に学ぼうともしない。

でもシュモーの人類愛の考え方が広範囲に広がり、その考え方に基づいて平和のために行動すれば、戦争はなくなる可能性があると思いませんか。大きい夢、世界平和の実現が目標である。

 

(2018.09.04)  森本正昭 記