「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 173
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古山高麗雄 「プレオー8の夜明け」 戻る |
著者自身23歳時、南方に送られている。マレーシア、ビルマ、カンボジア、サイゴンなどに移動するも俘虜収容所に勤務したため、戦犯容疑者としてチーホア監獄に拘束されていた体験がこの小説を書かせている。 プレオー8とは雑居房、中庭第8号を意味する。安南という言葉もよく出てくるが中国人やフランス人がかつてのベトナムを呼んだ名称である。文中に登場するのはサイゴン中央刑務所である。ここには戦犯だけではなく泥棒や詐欺師、痴漢も入っている。安南人、フランス人、広東人それに日本人が収容されている。 毎朝夜明けにベトミン独立歌(チュンロン)がどこかで歌い出すと刑務所全体に斉唱となって広がっていく。日本人はそれによって起こされるが、続いてラ・マルセイエーズが響き、歌が終わると雑談の声がざわざわと聞こえる。冒頭にこの大きな刑務所の朝の情景が巧みに描かれている。 判決を受ける期間は1週間くらいかと思っていると、10ヶ月にも及ぶ。いつ処刑されるのかも分からない不安を抱えているはずなのに、在監中の日常生活をユーモラスに描いている。芥川賞の選考委員の中には悪ふざけを指摘する委員もいたようだが、長期にわたる収容所生活は絶望的な心情を感じさせないほど、ある意味で充実していて興味深い。隣りは女囚の監房で隣室とのやりとりはなかなか面白い。 在監中のユーモラスな日常を評価され、第63回芥川賞を受賞したが、悪ふざけなところもあって、物足りないという選考委員もいたようだ。1週間のつもりが10ヶ月にもなり、いつ処刑されるかも知れない生命の不安は主人公が毛布をかぶって寝たあとで迫ってこないはずはない。それを隠して明るい雑居生活を書いたところにユニークなものがあるというのは強弁である。(舟橋聖一) 収容所生活の絶望的な心情が書かれていないという非難もあったが、むしろ各自の絶望的な立場からみんな顔をそむけようとしている、その姿がよく描かれている。作者の長期にわたる体験が素材となっている。体験の強みが感じられた。円熟という芥川賞では珍しい要素が加わっていて、群を抜いていた。(石川達三) 著者はプレオー8の連中に創作劇を演じてみせるのだ。毎週1本その脚本を書き、稽古もする。毎週異なる台本なので大変だ。よくもまあ、次から次へと新作の芝居を演じつづけたものだと感心する。 「血と砂」は映画の題名から盗用した喜劇、「鶴八鶴次郎」を焼き直した「馬七馬三郎」の主人公は朝鮮舞踊の名手という設定である。 「捕鯨船第三旭丸」は「商船テナシティ」の翻案で、「伝兵衛さんの倅と今朝松っあんの娘」は「ロメオとジュリエット」からきている。 おもしろおかしい場面で観客はわっと歓声をあげる。 文中には面白おかしい場面が詳しく解説されている。獄中生活ではたまらない面白さであったろうと思う。 十三号監房にいたときは、航海をしているような気持ちになった。その監房が貨物船の船底に似ていたからだろうか。空気は薄く息苦しかった。 待たされすぎて私は呆けてしまうのだ。桟橋にまだ見ぬ娘、ヒロ子が立っているかも知れない。などと著者は想像を巡らしている。出征のため、子を宿したまま生き分かれ死亡した妻とその子のことが描かれている。 囚人の生活、とりわけ戦犯容疑者の生活は船旅のようなものかも知れない。毎日、同じ顔、同じ壁。船が港に着くのは、何十日先のことか、何ヶ月先のことか分からない。果てしなく続く船旅。船客たちの雑談と、変わらぬ海の音を聴きながら、見当も付かない長い日が経つのだった。 |