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『ノモンハン 責任なき戦い』、NHKスペシャル2018.08.15放送






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 ノモンハン事件は1939年5月~7月に満州とソ連、モンゴルの境界で起こった国境紛争事件である。このテレビ番組の冒頭は日本軍が大平原に堀った大量の塹壕を俯瞰して見せている。

日本から2000キロ離れたこの地域で、日本軍の兵力は時代遅れの装備であったのに対し、ソ連軍は近代的装備に守られた機械化部隊で、その兵力は日本軍を圧倒していたという。

敵を知らず、己を知らずに戦った戦争であった。

司馬遼太郎 は「「昭和」という国家」のなかで、日本はかつてない敗北を喫し、その後の日本は破滅への道を進んだとし、

「こういう馬鹿なことをやる国は何だろう。日本とは何か、日本人とは何か」

この敗北の教訓はその後に生きていない。ノモンハンと同様に甘い見通しでやった太平洋戦争では310万人の犠牲者を出したことを嘆く。

 NHKはロシアの国立写真映像アーカイブから新たに発掘しカラー化した映像を放送で使用していた。新鋭の戦車が草原を高速で走行していく。日本軍は装備で圧倒的に劣っていたというのだが、日本軍の装備の映像はない。

さらにNHKは音声記録を南カリフォルニア大学から貴重な情報を入手している。日本軍上層部の軍人の話や軍事研究家のインタビューの音声記録は150時間に及び、この中から新たな情報を発掘したと述べていた。この番組の結論に至る経緯の中でその音声がどのように活かされたのかは明らかではない。

 

この戦争を主導したのは辻政信少佐で関東軍司令部の参謀である。彼は「満ソ国境処理要綱」を作成した。国境線が不明確な地域では現場の司令官が国境線を認定する。一時的に越境してでも国境線を封殺する。寄らば切るぞという威厳を備えることの大切さを主張している。身分は一少佐であるが、強気一辺倒の議論を打ち出してくる危険人物である。他の参謀は次第に辻に同意していく。いつのまにか関東軍内で要綱は承認される。

越境爆撃を主張する辻は天皇の裁可を得る必要があったにもかかわらず、無視して強行する。磯ヶ谷関東軍参謀長は事前協議が必要と主張するも植田関東軍司令官は越境爆撃を実行に踏み切ったというから驚きである。参謀本部の意思決定より現場の指揮官の意向が優先されたのである。

ソビエト駐在の武官・土井明夫大佐のスターリンの動向に関する情報も参謀本部は無視した。ソ連は西のドイツ、東の日本への兵力の投入に苦心していたが、日本に兵力や戦車の投入を進めていった。日本はこの武官の重要な情報を軽視したのだった。

現地軍の部隊長が撤退によって自決を迫られる北部陣地軍の情勢は悲劇的である。現地軍は戦いに勝ったと信じ、参謀本部は負けたと判断する中での撤退である。現地軍には自決など念頭にないにもかかわらず、自決を強要された。軍の要人はご遺族の問いかけに何も記憶にないと回答している。都合の悪いことは記憶にないというのが責任ある要職者の反応である。これは現在の政治でも同じである。ご遺族の方々の無念の心情に深い同情を寄せたい。

 

この番組を見て理解が及ばなかったのは以下のような事柄である。

・装備や兵力の数量的説明が少ないので、その差が大きかったとしても、どうして圧倒的な敗北と言えるのか。それならどうして停戦に持ち込めたのか理解できない。

・参謀本部の国際情勢の分析が明らかになっていない。

・参謀本部の意思決定と現地軍の指揮官の意思決定が異なるときの決断の仕方があいまいすぎる。

その理由として軍人同志の情実が飛び出してくるのは驚きであった。戦時にあって参謀本部の役割はどのようなもので、何をやっていたのか知りたい。

・150時間に及ぶ録音テープがどのように役立ったのか不明である。とりわけ天皇側近の要人の言動は不明である。

・当時、満州を支配していた有能と言われていた人物や責任を取るべき立場にあった軍人たちはその時、その後何をやっていたのか知りたいものである。(板垣征四郎、石原莞爾、岸信介、辻政信など)


(2018.08.26)  森本正昭 記