「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 175
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緑十字機・決死の飛行 テレビ朝日 2016年8月
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1945年8月15日の玉音放送によって戦争は終わったと考えられているが、真の戦争終結に到る手続きは翌8月16日から始まったのである。玉音放送はポツダム宣言の受諾を国民に知らせるためのものであり、その後に解決しなくてはならない重大問題が存在したのである。 マッカーサーは相当な抵抗が予想される中、70万人を超える兵力を日本に派遣するブラックリスト作戦を考えていたのだが、まずマニラ市に降伏文書に調印するため降伏軍使を派遣するよう日本政府に命令してきた。 その際、派遣する飛行機は全体を白く塗り、日の丸ではなく緑色の十字を書けという。 人選は困難を極めた。降伏軍使にはなりたくない、命の保証もない中で陸軍参謀次長河辺虎四郎中将、海軍主席副官横山一郎少将、外務省岡崎勝男に決定した。 日本側は国内の反乱軍を鎮圧しなければならないし、武装解除のための時間を稼ぎたかったので出発を遅らせようとした。 飛行機は2機でパイロットにはベテランの飛行士が選ばれた。出発は木更津飛行場となった。軍使機とわかると反乱軍に撃墜される恐れがあった。それで海面スレスレに太陽に向かってジグザグ運動をして沖縄方面に飛んだ。 8月18日未明ソ連軍が千島列島に進攻を開始した。占守島では地上戦が起こった。さらに8月20日には南樺太に艦砲射撃を加えてきた。火事場泥棒のような行為である。 軍使の対応が遅れると、北海道はソ連に分割支配されることになっていた。一大事である。一日も早く天皇の委任状を託し、進駐軍を受け入れねばならない。 マニラに向かう軍使機が沖縄・伊江島到着時、二番機は無事着陸したが、一番機はフラップが下がらず緊急事態となる。日本機の異常行動が見られると撃墜される危険があった。 このミッションは何度も危機に晒されたが、その都度奇跡的にその危機を回避した。その後も次々と危機に襲われたが、その結果は幸運に守られている感があった。 マニラでの会議では進駐の予定が8月26日厚木進駐の予定と決まった。反乱軍が占拠している厚木では不可能な日程であったが、3日間の猶予が認められた。それでもこの3日が大いに役立つ事となった。 帰路にあっては二番機が故障し、一番機だけが夜間飛行で帰国する事態となった。しかしアクシデントが発生した。紀伊半島上空でハプニングが起こった。エンジンが空転し始めブレーキの油圧がゼロになった。増設タンクが空になり燃料切れが明らかになった。この原因は米側は燃料をガロンで測り日本側はキロだと認識していたという単純な理由によるものだった。渥美半島を過ぎて平坦な海岸線が続く海岸に不時着を試みることになった。機長は17、000時間を超える名パイロットであったがこのパイロットに日本の運命が託されることになった。8月20日午後11時55分、月明かりの下で天竜川河口の鮫島海岸に不時着が強行された。まさに奇跡の不時着であった。全員無事だったのである。 8月21日になっていた。鮫島集落の地元警防団に発見された。機体に日の丸はなく敵機だと思われたようである。しかし胸に金モールをつけた軍使は彼らには異様に写ったに違いない。一刻も早く東京に帰らねばならない事を告げる。農協の電話を使うことも出来た。 軍使たちをトラックに乗せて浜松飛行場に向かう。偶然にも重爆撃機・飛竜が修理のため駐機していた。これに乗り調布飛行場に向かった。 米軍の進駐は8月26日に先遣隊が厚木飛行場に到着する。それまでに武装解除と飛行機の撤去をしなければならない。必勝の信念を抱いている反乱軍の指揮者・小園司令をどうするかが大問題となった。 ところが小園司令は南方戦線で感染したマラリアの発作で錯乱状態になっていたのだ。 それで麻酔薬を打って野比海軍病院に移送することになった。反乱軍の迷走は続いていたが、反乱軍を高松宮が説得したという。徹夜の撤去作業が行われ飛行場は整備された。 まさにギリギリのタイミングでマッカーサーは8月30日厚木飛行場に到着した。タラップを降りてくる勇姿を何度もやりなおしてカメラマンに撮影させたと聞く。内心は不安だらけであったはずである。 無血進駐ができなければ、混乱を抑えるため、最低100万人の兵力を必要とし、予測できないくらいの長期間の駐留が必要になったはずである。 しかも米国にとっては軍政ではなく日本政府を通して占領行政を行うことができたのである。ソ連の北海道分割占領も阻止することができた。 9月2日東京湾に停泊するミズーリ艦上で降伏文書への調印式が行われた。列席者の中に軍使として緑十字機に搭乗した岡崎勝男と横山一郎がいる。このテレビ番組では二人の誇らしげな表情が垣間写っている。 緑十字機が演じたこのラストミッションは日本政府からもGHQからも発表されていないのは不思議なことである。 (2017.07.15 森本正昭 記) |