「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 167
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70年目の終戦

テレビ番組に見る

 



護郷隊の碑





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今年は戦後70年という節目にあたる終戦記念日を迎えた。不戦の誓いを後世に伝えるためなのか。テレビ各局の“終戦”関連番組が際立っていた。内容は質量ともに充実していた。私が注目し視聴した番組は一部分に過ぎないが、以下に紹介することとした。玉音放送を取り上げた番組に注目が集まり、終戦に持ち込むことがまさに命がけであったことが理解できる。おりから国会では安保法案(別名、戦争法案)の審議中で、これに向けた反対機運が盛り上がっていて視聴者の関心は高まったと思う。

 

8月1日(土)「玉音放送を作った男たち」、NHK BS

玉音放送を着想から実現するまで、大変な苦労をした人物がいた。時の情報局総裁下村宏。天皇に単独拝謁、放送を阻止しようとする反乱軍との緊迫する対峙。8月15日に実現、もしこれが実現しなかったら、本土決戦まで突入していったに違いない。

 

8月1日(土)「いしぶみ~忘れない。あなたのことを~」、日本テレビ

いしぶみは碑のこと。旧制広島二中の生徒321名は、建物疎開(空襲による延焼を防ぐために建物を壊す仕事)の作業中、投下された原爆の閃光を浴び全員が犠牲になった。その遺族の手記を広島テレビがリメイクした感銘の深い番組である。綾瀬はるか朗読、脚本・監督は是枝裕和。

 

8月5日(水)歴史ヒストリア名作選 「天皇のそばにいた男 鈴木貫太郎」、NHK

昭和天皇は、肝胆相照らした鈴木であったからこそこのことができたのだと語っている。このこととは玉音放送から終戦を実現したことである。鈴木の妻は天皇幼少時の母親がわりであった。鈴木は226事件の際、側近の侍従長であった。反乱軍に銃弾で撃たれたが、妻によって一命を取り留めている。その後、太平洋戦争最後の首相となり、天皇の聖断によって主戦派の暴発を阻止したという。

 

8月9日(日) 長崎原爆犠牲者慰霊式典 NHK 

70回目の原爆の日を迎えた。式典には過去最多の75ヵ国の代表が参列した。田上長崎市長の平和宣言は実に堂々とした内容であった。戦争の風化に警鐘を鳴らし、次世代に対して、戦争をしないという理念は永久に変えてはならない原点であると呼びかけた。さらに安保関連法案の慎重審議を求めた。

 

8月11日(火)アニメドキュメント「あの日、僕らは戦場で-少年兵の告白-」、NHK

沖縄戦での知られざる事実として、護郷隊がある。これは子供を日本軍の一員として最前線で利用していたと言う事実である。存在を隠していたため、記録にはないが証言をもとにしてアニメドキュメント化された。陸軍中野学校の出身者がこの計画を全国で実行にしようとしていたという。いたましいことである。

 

8月13日(木)NHKスペシャル「女たちの太平洋戦争―従軍看護婦・激戦地の記録―」

アジアの戦場に日本赤十字社から従軍看護婦として派遣された女性たちの真実の証言に心打たれる。「人の死に対して悲しいという感情がなくなった」というのが極限の状況を物語っている。お世話になりましたという元患者に対して、看護をするための物も器具も薬も何もなかったと言って涙ぐむ看護婦さんの言葉が痛々しい。

 

8月16日(日)NHKスペシャル「“終戦”知られざる7日間」

玉音放送で終戦となりすべてが終わったのではなく、その後、緊迫する7日間が続いたことを明らかにしている。戦争を終わらせることがいかに難しいことであるかをこの番組は伝えている。戦争を継続しようとする軍人集団との攻防や進駐軍とのかけひきの始まりでもあった。生と死の葛藤の中で生きることを選んだのは、軍人ではなく、一般の大学卒の幹部による勇気ある言動であった。外地に派遣した大部隊を帰還させたのは「みんなで一緒に内地に帰ろう」と言った古参兵の言葉であった。帰還兵たちは新しい日本の進路を押し進めていったという。


(2015.08.28)  森本正昭 記