「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 006
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山内武夫 怯兵記 ―サイパン投降兵の手記―
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筆者山内氏は学徒臨時徴集により徴兵検査を受け、半年後には現役兵として入隊している。学生時代はいわゆるマルクスボーイで「主義者」づらをして左翼文献を読みかじっていた。学校の軍事教練に抵抗したとしてもしれたものだった。 それが軍隊では、命令することのできる上官とつねに命令される立場の兵隊とでは絶対的な差があることを知らされる。上官の命令は天皇陛下の命令とみなされるからである。「貴様、俺の命令が聞けんのか、よし、聞けるようにしてやる。眼鏡をはずせ!歯を食いしばれ!」と鉄拳を浴びせられる。しかしやがて主人公は乙種幹部候補生になり、軍曹になり、サイパンに送られ、悲惨な戦争体験をすることになる。 本著はページ数にして348ページに及ぶ。サイパンは激戦の地であったことは誰でも知っていることなので、どのような戦闘であったのかを読み取ろうと試みたがどうも状況は少し違うようだ。書かれているのは戦記かと思って読んでいると、どうもそうではない。なぜなら一度も敵と戦う場面がない。ただひたすら敵の砲弾・機関銃や艦載機の銃弾、曳光弾に逃げまどう。水と食料を求めて夜行性動物のように同じ地域を何度も行き来する。戦う相手との兵力の格差があまりに大きい場合にはやむを得ないのかもしれない。米軍が活動を停止している夜間だけ、敗残の流れがヨタヨタと放心状態で歩いていく。もはや部隊としての組織的行動は見られない。 どうも様子がおかしい。主人公はとにかく生きながらえようとする。いっさいの恐怖から隔離されて、孤独な仙人となって生き残りたいと思っている。日本兵や民間人の多くはもうすぐ日本の連合艦隊が敵機動部隊を撃滅してくれると信じ、その日まで生き残ろうと考えている。しかし読み進んでいく内に主人公は投降が目的であることが分かる。本のタイトルの意味も次第に分かる。目的が分かってから書かれていることが面白くなってくる。敵と戦うことよりも投降する方が難しいのではないかとさえ思える。日本の兵隊に課せられている「生きて虜囚の辱めを受けず…従容として悠久の大義に生きる(死をえらぶこと)を悦とすべし」という戦陣訓に背くことなど考えられない。敵の投降勧告に応じて白旗を掲げて出て行っても、背後から味方の日本軍に撃ち殺されてしまうからだ。生きていく上での不安は仲間達の自決行為やバンザイ突撃に巻き込まれることだ。しかし主人公の場合、ひたすらに投降の機会を窺っている。気の合う日本兵と行動をともにしているときは自分の考えを聞いてもらおうと試みる。また鉄砲を持っているが撃つ気はなく、銃弾の持ちあわせすらないようだ。2度にわたってその重い邪魔者を捨てている。 このような怯兵がサイパン戦のなかでどの程度いたのか。投降は誰しも念頭にはあるが実行する勇気がなかったのか本書を見た範囲では分からない。民間人でさえ、バンザイ自殺を遂げているのに著者は最初から投降を強く意識していたように読める。どうしてそう考えるようになったのか、怯兵を貫けたのか説明は足りない。 他の著者の本であるが、自分が捕虜になったくだりで突然、自己防衛とも思える難しい記述に遭遇してあれあれと思ったことがある。本著にもややそれに近いところがある。過酷なまでに個人の自由を拘束した捕虜になるなという教訓の恐ろしさを改めて思う。でも敵前にあって自分一人の生き残りたいという願望を、捕虜になることで達成しようとすることが、なぜ「日本平和論体系」の中に収録されるに値することなのか理解しにくい。
(2006.11.05) 森本正昭 記 |