「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 063
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渡辺一枝『桜を恋う人』
       情報センター出版局、
1990

 

 


満蒙開拓青少年義勇軍に志願した頃の岩間典夫、下は訓練所時代の仲間たち

 

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この本には中国人・孫 俊然の原著『命運的鏈条(運命のつながり)』がある。また副題に「二つの祖国に生きて」と書かれている。著者渡辺氏は中国残留孤児や残留婦人のことを取材しているとき、黒龍江省・小興安嶺の山中にオロチョン族と暮らしている日本人がいることを聞かされる。その後、その日本人の半生を描いた小説の作者・孫 俊然に出会うことになった。

物語の主人公・岩間典夫(のちに中国名:莫宝清となる)は1943年(昭和18年)、14歳にして満蒙開拓青少年義勇軍に志願し満州におもむく。まるで出征兵士を送り出すときのように、町内(山梨県石和町)総出の歓送会で送り出される。そのいたいけな少年の姿に肉親や兄弟は涙ぐむ。

それは当時の国策であった。義勇軍の目的は「未墾の荒野を開拓し、将来は独立した農業者となること」が建前であった。本当の狙いは満州国の防備と治安を少年たちに担わせることだった。場所はソ満国境の辺鄙な荒野である。関東軍の弾よけとしての役割であったと思われる。

志願した少年たちの多くは、貧しい農家の次男、三男坊で、学校の成績が良く、義勇軍に入ることを教師に薦められるままに応募した者が多かった。日本にいても農地も持てない貧しい暮らしなので、広大な満州の大地に夢を描いていたに違いない。

この本の物語は、主人公・岩間の体験を追っていく。義勇軍として訓練を受けるところから早くも期待が裏切られる。戦争の末期になると軍に召集される。敗戦後にシベリアに抑留される。そこを脱出してオロチョン族と生活する。一族内での真面目な活動が認められて指導者的立場に立つ。しかしここにも文化大革命の嵐が押し寄せてきて、日本人は苦しい立場に追いやられる。日中交流が進んだ頃、夢にまで見た日本に単身一時帰国を果たす。しかし自分を育ててくれた中国人への恩を忘れることはできずに再び中国に帰還する。

このような展開であるが、オロチョン族は狩猟民である。山中の動物を追って移動生活を営む。一個所に長く留まることはない。農耕民族と違うその生活振りは、淡々としているのだが興味深く、何か惹きつけられるものがある。

36年ぶりに日本に帰国し、郷里で大歓迎を受けるのだが、両親は既に亡く、自分は戦死したとして墓にまつられていた。母は生前に、典夫は必ず中国の山奥に生きていると言い続けていたという。典夫はまるで浦島太郎状態であった。発展した日本には目を見はるものがあったが、どこか馴染みきれないものを感じた。あんなに恋いこがれた故国なのに、どこか自分を寄せつけないような冷たさを味わった。それに比べ、多数の残留孤児を育ててくれた中国人のふところの深さを想った。

 

題名の中にある桜は郷里の富士山の麓に生えている桜を中国の山中に移植したいという莫宝清こと岩間典夫の願いである。残念ながら移植の願いがかなったのかどうかは明らかになってはいない。

 


 (2017.03.30)  森本正昭 記