「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 092
Part1に戻る Part2に戻る
わだつみ会編『15年戦争』
|
15年戦争、資源の少ない日本が15年(1931年9月〜1945年.8月)の長きにわたって、戦争を継続したとは、あらためて驚く。 ちなみに最長の戦争をしたのは、イングランド・フランス両国が戦った百年戦争で115年という記録(1337.11〜1453.10)がある。これはフランス王国の王位継承を巡る戦いである。この戦争は間欠的であり、休戦が宣言された期間もあるので、休みなく戦ったわけではない。これに対して近代戦争では戦いの様相は悲劇性残虐性を持続し、悲惨な結末につながっていく。 この本は徴兵猶予が解除されたため、学問をやめて戦争に駆り出された学生たち(法文系の学生がほとんどである)の日記や手紙などの書簡を集め、本にまとめたものである。『きけわだつみのこえ(1949)』の続編といえよう。 戦争末期に特攻隊員として出陣し戦死した者や、輸送船で南方戦域に送られる途上、敵潜水艦の攻撃で海の藻屑と消えた者が多い。 学徒兵たちの残した書簡には、軍隊への批判が多く見られる。 教育に対する批判、作戦要務令に対する批判(松永竜樹p140)、法制についての批判(岡野永敏p166)、 軍隊は馬鹿になって過ごさねばいたたまれないところ、軍隊は教育場にあらず監獄なり。星の数(階級)は能力を示すにあらず(長尾弘p189)、特操(特別操縦見習士官)に誇りなし。伝統なし。良き運用なし。良き指導者なし(鷲尾克巳P198)。などと書かれている。 軍隊の内部から外部への発信は、厳重に監視されていた。批判など許されることではなかった。そのため、学徒兵たちは日記や手紙をひた隠しにして送り出そうとした。家族との面会の際に、弁当箱の底に油紙で包み、その上にご飯を盛ってひそかに両親に手渡された日記が残されている。宮沢賢治の本をくり抜いて、その中に日記を忍ばせ送付した竹内浩三の場合などがある。 また武井脩は「書いた手紙も海の藻屑と消え失せるかもしれないと思うと、たよりなど書く気になれぬ。しかし大島博光氏(詩人)とあなただけには全魂を傾けて私は書きに書いている。たとえこれらの手紙が海に沈もうと、神様はこれらの文字と真心を読んでくださるであろう。」と書かれている。 しかし学徒兵たちは真剣に自分の置かれた任務に取り組んでいた。 「我々はあくまで学生であり、学問をもって自己の生命とし、国家の要請の急なるこの時、幾多の思いを学問と国家の上に残しながら国防の第一線におもむかねばならなくなった。(板尾興市)」 「今やあらゆる私情を打ち切り個体は国家という大きな生命とつながらなくてはならない。(板尾興市)」 「国に殉ずるということ、戦死するということ、それは何も犠牲といわれるべきものではなくて、ある人間のある時代における生き方…必死の力をこめた生き方そのものである(長門良知)」 愛する妻や恋人への限りない愛情を切々と書いている書簡には心打たれるものがある。 「出征する兵士を見送りに来る彼女に永遠の別れを感じる。現世において相見ることは、おそらくもうないであろう。(市島保男)」 「生あらばいつの日か、長い長い夜であった、星の見にくい夜ばかりであった、と言い交わしうる日もあろうか…(松原成信)」
|