「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 076
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吉田 満 『臼淵大尉の場合− 進歩への願い』

(吉田満著作集 上巻)文藝春秋、1986

季刊芸術、1973年夏期号

講談社文芸文庫

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「戦艦大和の最期」(1952)から21年を経て発表された。「戦艦大和の最期」が記録的意味合いであるのに対し、『臼淵大尉の場合』と『祖国と敵国の間』はそれぞれの主人公を中心に描いた物語である。いずれも深い感動を呼び起こすに充分である。臼淵 磐大尉は兵学校出身であるのに対して、『祖国と敵国の間』の太田孝一少尉は学徒兵である。

 臼淵大尉は沖縄特攻作戦で戦艦大和のケップガン(若手士官の居住する一次士官室の長)に任ぜられ、参加し壮烈な戦死を遂げる。この作戦はもとより死を覚悟した戦闘で帰還の見込みは皆無であった。

軍人としては並外れて情味に富んだ男というのが、臼淵の衆目一致する評判である。なぜあれほど広く部下の兵隊たちから慕われたのか、そのことが、実戦の場面で不都合なことはないのかと思わせる。

家族への思いやりを描いた海軍士官の話としては、前掲の『海軍主計大尉小泉信吉』を思わせる。温かい雰囲気をかもし出すことで、この人は戦死するはずはない、戦死してはならないと読者に思わせる。妹に同期の青年士官を結びつけるようなことを置き土産としてやっている。

 戦後、高等学校3年の現代国語教科書に、臼淵の言動を記録した文章が掲載されているという。それは戦時を生きた同年代の若者の姿をもとに、戦後世代に特攻死と敗戦経験の意味づけをめぐる若手士官の葛藤を考えさせる試みである。戦争や国のあり方を考えさせる格好の素材となっている。戦時の若者の苦悩する姿に戦後世代はこころ打たれ、理解できないまでも、ある種の強いインパクトを及ぼしているに違いない。平和ボケの現代日本の若者にも背筋をただす効果があろう。

臼淵は沖縄特攻作戦に組み込まれたことに対して、どのような意味合いを求めたのだろうか。みずからも考えを尽くし、学徒兵を含めて青年士官たちの死生観を制する発言をしていたという。沖縄特攻に突き進んでいく影に、青年士官たちの意見の激しいやり取りがあった。そこで臼淵の考え方が彼らを引っ張る役割をしていたと思われる。

  「臼淵は新生日本の開花に先がけてその礎として散ることをもって本望とした。」おかれていた状況を見下ろすほどに進歩した戦後の日本を想定し、その位置から現実に置かれている自己の存在意義を見出そうとした。その進歩こそが彼らが求めたものである。戦後に訪れた新生日本は、臼淵の想像したものとはかけ離れたものであったことは想像できる。「臼淵は明日に向かって生きることへの空しい願望を「進歩」という二字に凝縮して後世に託すほかに道がなかった」のである。

副題に「進歩への願い」とある。臼淵の考えていた進歩とはどのようなものであったかは明らかではない。進歩がないから敗北するしかなく、敗亡によって状況が革新され新生すると考えていたものと想像する。

そしてこの平成の時代において、何かが開花したという程のものがあるだろうか。われわれは特攻作戦の犠牲者にどんな現状報告ができるといえようか。戦争の火種は世界中に限りなくあって消えることはない。兵器の進歩はあっても、国家や社会にはさしたる進歩がない状況にある。


(2008.03.02) (2017.04.04)  森本正昭 記