「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 089
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解かれた封印…米軍カメラマンが見たNagasaki (NHKスペシャル)2008.08.07
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米軍のカメラマン、ジョー・オダネルは、原爆投下の破壊力を記録するために、軍の命令で、がれきに埋まった長崎を訪れる。感動的なドキュメンタリーである。 彼は真珠湾攻撃への復讐心に燃えて、海兵隊に志願したのだった。 しかし長崎を訪れてみると、原爆に罹災した現実は想像を超えて衝撃的だった。 なぜか彼は軍に命令された以外の写真を自分のカメラに収めていた。帰国後すべてのネガを自宅の屋根裏部屋のトランクに閉じこめ封印した。家族には絶対に開けてはならないと厳命していた。しかし反核運動の肖像画の中に被爆者の姿を見てから、運命が変わることになった。実に43年後の1989年封印を開け、写真を再び目にするのである。原爆の悲劇を世に伝えるため、その写真を公開し始めたのである。それは原爆投下に対する疑問に通じることなので、母国を告発することを意味していた。 この行為は彼の周囲の人びとから非難を浴びることになり、妻も彼の元を離れていった。しかし息子、タイグ・オダネルは父の行動を支持し、後に父の意志を引き継ぐことになった。 父は破壊された長崎の爆心地を訪れたとき、あまりの悲惨さに言葉を失った。三菱製鋼所では千人以上の従業員が、鎮西学園では130人の生徒が死んでいる。浦上天主堂では彫像が熱線に熔けていた。自分が地球にいるとは思えなかった。遺骨を抱えている家族や、幼い兄弟たちを目にした。臨時救護所を訪れたとき、「あなたは敵でしょう。殺して下さい」と火傷で顔の形を留めていない被災者が言った。 一番胸を締め付けられるような写真がある。一人の少年が幼い弟の亡きがらを背負って火葬場にやってきた。彼は泣かずに唇を噛みしめてじっと耐えていた。(左の写真) ジョーがトランクを封印したのは家族にさわらせたくなかったからで、そうすることで新たな生活をアメリカでスタートさせようとした。しかし眠ろうとしても眠れない。写真は長崎の悪夢をよみがえらせるものだったのだ。 ジョーは戦後、米情報局に所属し、大統領専属のカメラマンとなった。あるときトルーマン大統領に、「日本に原爆を落としたことを、あなたは後悔したことはありませんか」と尋ねる機会があった。トルーマンは動揺し、顔を真っ赤にして、「後悔したことはない。私は前の大統領から単に引き継いだだけなのだからそれは当然である。原爆投下は私のアイデアではない。」と答えたという。 オダネルの体験の意味は何か。彼が長崎の爆心地に立ったとき、敵国への憎しみは消えていて、人間が人間を大量に殺りくするのはなぜかという、もっと上位の根元的な問題に全身を揺さぶられたのである。帰国後、原爆投下の意味を問い続け、原爆投下は間違っていたのではないかと発言を始める。歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もあるのだ。 このサイトで以前に紹介した水野広徳(水野広徳著作集)も同じであった。第一次大戦で、最も過酷な戦場となった北フランス・ベルダンを視察した水野は、まるでそれ以前と人格が変わったかのように、非戦論者に変貌する。そして軍備全廃による平和への強い信念を抱くようになった。オダネルの場合は原爆に対して同じ結論に達したのだろう。 くすしくもジョー・オダネルは長崎に原爆が投下された8月6日(2007年)に85歳で亡くなっている。 息子タイグがその意志を引き継いでいる。日本をたびたび訪れ写真展や講演などの活動をしている。同じ思いの人びとが次第に増えていくことが必要である。 彼は言う。「たとえ小さな石であっても、波紋は広がっていく。それは少しずつ広がり、いつかは陸にとどくはずだ。アメリカという陸にもとどく日が来る」と。
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