「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 040
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恵隆之介
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オビに英国海軍士官がたたえた日本海軍の武士道とある。武士道精神を発揮した人物は駆逐艦「雷(イカズチ)」艦長の海軍中佐・工藤俊作である。 太平洋戦争が始まった当初の1943年2月27日から3月1日にかけて、ジャワ海、スラバヤ沖で日本艦隊と英米蘭の連合艦隊との間で戦闘が繰り広げられた。結果は日本艦隊の圧勝に終わるのだが、この海戦で撃沈された英巡洋艦「エクゼター」、英駆逐艦「エンカウンター」の乗組員は漂流を続けていた。そのときこの海域を航行していた雷に救助されたのは英国海軍の将兵で、422名にもおよんだ。この数は雷の乗組員220名の2倍にもおよぶ。救助に要した労力は大変なものである。敵潜水艦による攻撃が予想される危険な海域でこのような救助活動を行ったことは、極めて異例のことであり称賛に値する。そして疲労困憊している敵将兵に対し、適切な処置を行なったのは真似のできない大変立派な行為である。 この事実はそのとき救助された元英国海軍中尉サムエル・フォール卿によって明らかにされた。フォール卿は戦後は外交官として活躍した人物である。彼は戦後、工藤艦長の消息を捜し続けるのであるが、消息はなかなかつかめなかった。しかし1987年になって工藤は8年前に他界したことを知った。 その後、フォール卿は1996年に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を上梓しているが、その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と書いている。さらに1998年になって英タイムズ紙に、救助された全員に友軍以上の丁重な処遇を施したと投稿文を載せている。さらにこの艦長への恩が忘れられず、来日して墓参と家族への感謝を述べようとするのだが、消息はヨヨとしてわからず、それすらも果たせなかった。著者恵氏は工藤の墓地と家族を捜す役割を依頼されることになった。 このような崇高な行為が日本でまったく知られずにいたこと自体不思議である。しかし恵氏は「ここに帝国海軍の崇高な精神を発見した。彼らは、国家のために職務を忠実に果たし、己を語らず、静かにこの世を去っていったのだった。この先人の功績を発掘し、後世に伝え残すことが、後輩の責務である」と述べている。この本は工藤俊作の生い立ち、米沢興譲舘中学から、海軍兵学校の教育、ワシントン海軍軍縮会議、海軍部内の分裂や昭和史前期の話、日・米英戦争の開戦など詳しい記述が延々と続く。スラバヤ沖海戦から救出劇がクライマックスtになっている。 このような記述が延々と続く理由は、なぜ工藤艦長が武士道精神を発揮するに到ったのかという土壌を著者恵氏は明らかにしたかったためと思う。
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