「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 065
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田辺聖子『欲しがりません勝つまでは』 ポプラ社、1977
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生まれてから、中学生・女学生になる頃まで祖国は戦争をし続けている世代、その中で学校教育を受けている。そして大空襲の戦禍をくぐり抜け、信じられない終戦の体験とその後の外国による占領、教育内容は激変する。このような環境の中で生きてきた若者の意識を知りたいと私はかねて思ってきた。この若者とは兵役年代より少し若い青少年で、次は自分が戦場にかり出されることを覚悟している世代でもある。 ここに取り上げる田辺聖子さんの著作はその世代の意識心情をよく描いている。後世の若者に読んでもらうことを狙いとして書かれたのであろう。 題名の「欲しがりません勝つまでは」はよくできた標語である。日本が無謀な戦争に飛び込んでいく頃、国民に耐乏生活を強制するための標語として使われた。 若者の心情はどうだったのか。田辺さんは相当変わった人と周囲の友人たちは見ていたそうであるが、多くの若者が同じ心情を抱いていたと想像される。 繰り上げ卒業で、学徒出陣、あの明治神宮外苑での雨中の壮行会を目にしたとき。“学徒出陣、何度聞いても悲壮で心痛む言葉だ。私は涙が出てくる。学生たちはペンを銃に持ちかえて出陣していく。女子学生も安閑としていられない。” 空襲警報の鳴る下で、“私は『祖国が自分を求めている』と思うのが好きである。習いおぼえた救護訓練をいかして、空襲警報のサイレンが鳴りわたる真っ暗な夜道へ、母がとめるのをふりきって出かけるところに、えもいわれぬ悲壮感があって、好きだった。” 専門学校を受験するとき、“試験に落ちたら、もう一年、学校へ行って、来年受けたらええと父母はいうが、私には来年がどうなるか「来年」なんてことが考えられるオトナがとてもふしぎだった。「来年」にはもう、死んでいるかも知れない。男子学生は続々と出陣している。いまでは人生は二十五年と笑いながら死地におもむく。” 勤労動員により工場で兵器づくりに参加しているとき、“「神風」と書いた手拭いを額にしめて、注意力を旋盤のバイトに集中し、油まみれになって一心ふらんに働く。” “「みたみわれ 生けるしるしあり天地の 栄ゆるときに あへらく思えば」という歌を教えられる。「御民(みたみ)われ」とは天皇の臣民である自分という意味である。天皇陛下に向かってはるか大阪の空から「臣、タナベセイコ、ここにあり」と申し上げたく、早朝から「みたみわれぇ」と朗唱する。隣人はびっくりして飛び起きる始末である。”などなど。 この物語はNHK朝の連続ドラマ「芋たこなんきん」(2006.10.2~)の少女時代の物語である。ドラマの映像とこの本とがダブって楽しめる。また田辺さんが女学校時代に書いていた小説の筋書きを読むことができるので興味の持てる本になっている。
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