「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 038
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竹内浩三・小林 察[編] 
『戦死やあわれ』
岩波現代文庫、
2003

 

 

 

 

   

 

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竹内浩三は最近よく語られ、知られるようになった詩人である。そして既刊書は、決まって代表作「骨のうたう」が巻頭を飾っている。

この原稿を書いている私は最近になって竹内浩三を知った。伊勢市出身であることも知っていた。しかしその略歴を見て仰天した。私と同じ市、同じ町に住み、同じ小学校に通学していた人であることを知ると、夢中でこの本を読むことになった。手紙・日記などの文章には懐かしい伊勢弁が随所に見られる。編集者が誤記〈ママ〉とした個所まで私には地域独特の方言として理解できる個所があった。また書かれている地名はいずれも容易に思い出すことができる。

竹内の実家は呉服屋で、私はその店頭で遊んだこともあった。竹内は1945年フィリピンで戦死している。また私より16歳も年長なので出合うことはなかったかも知れない、でも一度くらいはすれ違ったかもしれないと想像すると何かぞくぞくするものがある。

戦時において、赤裸々に日常生活を描いている「芸術の子」は学校でも軍隊でも、ほとんど理解されなかったものと思う。日記帳を宮沢賢治の本をくり抜いて挟み込んだ上で、姉に郵送するという手を使ったりしているが、軍事郵便だとしても、よくも検閲を通過したものだと驚きを感じる。その日記を毎日便所の暗い豆電球の下で書き込む。「日記、これがぼくのただ一つのクソツボ。排泄物はぜんぶここへたまることになっている」とある。

ながいきをしたい
   いつかくる宇治橋のわたりぞめを
   おれたちでやりたい

     街角にくるたびに
   なかまがへっていった
   ぼくたちはすぐいくさに行くので
   いまわかれたら
   今度あうのはいつのことか
   雨の中へ、ひとりずつ消えていくなかま

  くらやみの中で
   まじめくさった目をみひらいている
   やつもいるのだ

  竹内浩三は無名の一兵卒として戦争に参加し、それを描くことによって“戦争”という途方もない巨悪との孤独な闘いを開始したといえる。(編集者)

軍隊生活を純粋な子供の目で描き、人間を静かに見つめている態度であるがゆえに、先の世界(戦後の世界や現代)までも見えている。

軍務に就いてからの竹内の文学活動は手紙の中で行われていたので、知人や女友達に送付した手紙類が空襲で焼失していることは惜しまれてならない。


(2006.06.24) (2017.03.18)  森本正昭 記