「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 045
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柴田芳見『少年志願兵』叢文社、1983
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主人公・俊吉は東北の片田舎の出身、5人兄弟の四男である。かつて純粋に国を想い、民族を信じ、死を覚悟して戦場に馳せ参じた少年志願兵の心情を描いた作品である。奥付けの著者紹介によると、'75に遡って発令のあった叙勲と軍人恩給を拒否している。小説の中では気づかなかったが、相当な気骨のある人物であるに違いない。 15歳で東京陸軍航空学校、航空整備学校に学び、南方に派遣される。ジャワ島バンドンで敗戦。帰還することができたにも拘わらず、インドネシア独立戦争の指導者として参戦。その後帰還を果たしている。 物語は学校、戦場、敗戦という章立てで描かれている。その間、四六判472ページにおよぶ長編である。印象的なことを挙げると少年の頃、あの2.26事件が起こり少年の暮らしていた村にも号外が配布される。「青年将校 閣僚を襲い、内府、首相、教育総監を射殺」これを読んだ農民達は、「とうとう…、やったなあ」おれたち貧しいものの味方がついにやった!と感激する。青年将校たちも貧農の出身が多かったと聞いていたので、その情景が目に浮かぶようだ。 航空学校ではきまじめな生徒振りを発揮する。私が国民学校に通っていた当時も、教室の壁には「忠義」「孝行」などという標語が貼ってあったことを思い出す。忠は国に対して身を捧げること、孝は親に孝行することであるが、この二つは矛盾する。国に忠節を誓うと、若くして死ななければならない、すると親に孝行することができない。それで国は「忠孝一体」ということを言い出し、忠義が孝行よりも上位にあるのだという。このことを俊吉は上官に質問に行く。意欲的な少年兵であったことが判る。 その後、物語は延々と続く。戦場の光景、敗戦のこと、ジャワ島の若い娘に恋心を抱き、インドネシア独立軍に参加することなどと続く。しかし最も私にとって感動的な記述は内地に帰還する、この物語の最後の数ページである。まるでこの場面を描くために延々とそれ以前の体験が描かれているのではないかとさえ思った。 ‘俊吉たちは荷を背負い、「復員列車」に乗り込む。この列車の発車が軍隊の終わりだった。7年にも及んだ巨大な組織から解かれた者の歓喜が湧き、たとえ、列車の窓が破れ、また走る故国の土が戦果に荒れ果てていても、それらに対して深く哀しむことさえしなかった。その彼に一つだけ奇妙なこだわりがあった。そこには何一つ区切りがなく、俊吉は公的から私的な身へと移っていったことだ。’原爆の落ちた広島を見る。ホームの隅にボロを着た少年が無表情に立っている。そして復員列車にお構いなしに乗り込んでくる食料を売りに行く集団に、かつての日本人にない荒れ果てた内地の国情を見知らぬ国のように感じる。かと思うと、引き揚げ者援護の学生同盟の暖かいもてなしに感動する。 いよいよ故郷の部落に帰ってくるくだりが良い。顔なじみの老婆に出合い、俊吉の兄弟たちは未帰還であることを知る。そして懐かしい我が家の少し崩れた茅葺き屋根と風呂の煙突が見える。草取りをしている母の姿を見つける。何とも感動的な場面で物語は終わっている。
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