「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 012
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平野まや   『おじいちゃんの青春』 文芸社 2004

 

   

 

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高校一年生の主人公といってもこれが著者本人。学校から帰ると祖父が心筋梗塞で倒れて入院したことを知る。

祖父は先の戦争で2回出征し負傷するが帰還している。最初はノモンハン事件で満州へ、2回目はビルマへ。いまどきの高校生にノモンハン事件といっても反応はほとんどない。日本史の教科書には記載されていても、縄文、弥生、大化の改新は習うが、近現代史に行き着かない前に授業は終わってしまうからだ。大事なのは現代に近いところなのにと思うが、教え方ももう一つの教科書問題である。

物語は主人公が祖父の入院中にノモンハン事件を知ろうとすることに始まる。そのために市立図書館に通う。その史実を高校生が知ることは、まるで祖父と一緒にタイムスリップしているようだと著者は感じている。学校で単位を取ること以外にこのような関心の抱き方は視野の広さを若者にもたらすはずである。

なぜ戦わねばならなかったのか。どんな戦いであったのか。などを知る内に、軍指導者がこの事件を極秘事項としていたことについて、高校生の疑問は深まっていく。

ところで筆者はこれまで「ノモンハン事変」と教えられていたが、最近の歴史教科書では「ノモンハン事件」と記述されているらしい。「事変」とは国際間の宣戦布告なき戦争のことを指しているが、「事件」というともっと軽いもめ事という程度になる。軽いというのは本当だろうか。国境が確定していない地域における日本とモンゴル・ソ連との国境紛争である。場所は大草原。このような地域での戦闘経験のない日本軍は武器が劣っていたこともあって惨敗したらしい。その事実をひた隠しにして、その後わずか2年で、太平洋戦争に突入した理由は高校生でなくとも疑問に思うところである。

祖父が入院している短い期間にたくさんの歴史的知見を学び感じとっている高校生の姿に感心する。捕虜の悲劇やラマ僧の迫害についても書かれている。「祖父は日本の無謀な指導者のせいで、人生の中で一番いい青春時代を戦争に捧げ、大けがをし、一度は日本に帰ったが、また赤紙が来て否応なくまた戦地へ、今度は熱いビルマへ」。一年半も辛い捕虜生活を体験する。

「毎晩、死の淵をさまよう自分の姿、鉄砲の音、上官の怒鳴り声、死んでゆく仲間の姿、ガイコツの山、捕虜の辛いときの夢を見た」と祖父は言う。

「人間は、自由が欲しいのよ。お金より自由が欲しいときがあるのよ」と母が笑って言った。ともあれ祖父は無事退院したとある。退院おめでとう。

 

 

(2006.11.05) (2017.03.11)  森本正昭 記