「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 054
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城山三郎 『一歩の距離』
           新潮社、
1980

 

 

角川文庫より

 

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副題に「小説予科練」とある。主人公たちは予科練の練習生で、年齢は15歳から16歳である。

「全員眼を閉じよ。よく考えた上で、志願するものは一歩前へ」

志願するのは必死必中の兵器(人間魚雷)の搭乗員になること、いずれ死ぬとわかっていても、突然それを要求された時には、あまりにも大きな決断をしなくてはならない。それは無限に長い時間に思えた。前に出るのも出ないのも、勇気が要る。よく考えてと言われても、考える余裕はない。一歩の前と後には、眼もくらむばかりの底深い谷があったと著者は述べている。

主人公・塩月にとって一歩の距離は遠かった。前に出なかったのだ。そのため彼はそのときのためらいを罰せられていると感じるようになる。前に出た同僚は一様に晴れやかな表情をしている。

敗勢の濃い終戦の年、飛行機が一機もない航空隊で、毎日は陸戦訓練しかない。予科練に志願するときから、空以外での死を考えたことはなかった若者にとって辛い日々であった。この小説ではこの一歩の試練があった後、同僚訓練生の個々の家庭の事情が詳しく描かれていて、この小説を読み応えのあるものにしている。

飛行機のない航空隊での訓練とは、上官の暴力に耐えることだったのか。

「きさまたちは消耗品(スペア)、消耗品は消耗品」というや、バッター(棍棒)で殴られる。バッターとは軍人精神注入棒と呼ばれたしごき棒のことである。日露戦争以来の伝統である。帝国海軍にあって列国海軍にないものはバッターだといわれていた。これに殴られているうちに、何かが鍛えられるのか。そんな気がしてくるとしても、それは逃げ道のない自己催眠にかかっているだけなのだが。

どんなときに殴られるのか。平等に殴られるのかというと、殴りたい顔つきをしている者は、集中的に棍棒を浴びたという。上官は一人で全員を殴ると手を痛めるため、向き合っている仲間同士を殴らせる。ついに同僚の古手川が殴り殺されるにいたる。古手川が予科練を志願した事情や特攻を志願した事情が詳しく描かれていて痛ましい。

階級の低い者を殴るのは、戦闘場面にあって上官の命令に有無を言わさず従わせるための手段と考えられていたのだが、これが強い軍隊を育てる唯一の方法だったのだろうか。むなしく、そして切ない。


(2007.07.06) (2017.03.27)  森本正昭 記