「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 0011
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比嘉富子 『白旗の少女』 講談社青い鳥文庫 2000

 

 

 

   

 

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沖縄戦の終局の場面でこの少女は隠れていたガマ(洞窟)を出て米軍に投降する。ガマで生活を共にしていた老夫妻が苦労して作ってくれた白旗をかかげ笑顔を作りながら投降した。このとき、この少女は7歳である。その時の情景が一枚の写真として残されていることを著者は32年後に偶然にも知ることとなった。それを撮影したカメラマンを捜す活動が始まる。このことは新聞報道されたので知っている方も多いと思う。これだけでも感動的なドラマである。

 沖縄戦は昭和20年4月に始まり約3ヶ月にわたる戦闘が行われた。この戦いは日本の領土における唯一の地上戦であった。その結果、沖縄住民の死者は10万人にもおよび、正規の軍人の死者約6万5千人を遙かに超す惨事となった。姉2人と兄との4人で戦場を逃走する途中、兄は銃弾に倒れて死亡。夜道を逃亡する際、姉2人とはぐれてしまう。ただ1人になってしまった7歳の少女は戦場をさまよう。ガマからガマへ逃亡するのだが、アメリカ軍は沖縄南部に侵攻してきたので、少女が進んでいた方向は同じ地域であった。次第にアメリカ軍に近づいていくことになった。

たった1人になった少女には頼りになるものはなにもない。記憶に残っている肉親の言葉をたよりに戦場をさまよう。必要なものは水や食料の他、肉親の愛情である。ひとりでガマに入っていこうとしても追い払われてしまう。子供は大きな声を出したりするため、敵兵に狙われてしまうからだ。

少女は父の言っていたことをいろいろと思い出しながら行動している。「人間というものは、死ぬ運命にあるときは、どこにいても死ぬものだ。生きるときは、どんな危険にさらされても、生きるものだ」という言葉を思い出すと、砲弾や銃弾を避けるため、必死に洞穴を探すことをやめて平気で外を歩き回ったりする。ガマからガマへ「ネエネエ(お姉さんいる?)」と声をかけて回る。そのため「ヤナ、ウーマク、イナグワラビ(わるくて、きかんぼうの女の子)」という評判が立った。住民の敵はアメリカ軍だけでなく、日本軍も敵と言ってもよい存在であった。日本兵は沖縄の人々を守ってはくれなかった。少女は日本兵に軍刀で斬りつけられようとさえした。死んだ日本兵はなんども目にし怖くはなかったが、生きている日本兵は恐ろしい存在だった。

動物に教えられたことも何度かある。蟻が行列を作っている場面に出くわすとその先に何かがあるのかを感じる。見届けようと先に進むと、日本兵が倒れていて背負っている雑のうに蟻が群がっている。雑のうの中に金平糖を見つける。缶詰を見つけたときは開け方を知らないままに石や木の枝で中身を取り出したりしている。小さな芋を抱えたネズミからその芋をもらったこともある。砲弾に怯えたウサギを見つけると、親しかった兄の身代わりとして「ニイニイ」と名前を付けてしばらくともに過ごす。少女は愛情に飢えていたのだ。 

やがて目の見えないおばあさんと両手両足を無くしたおじいさんが2人で隠れているガマに入り込みしばらく楽しい時を過ごす。いつまでもこの2人といたいと思う。しかし老夫妻は降伏の白旗を用意してくれて、少女は投降を熱心に勧められる。

この本は小学校上級生向けに作られているため、全ての漢字に「かな」のルビがふられている。しかし子供向けと限定する必要はない。住民からみた沖縄戦を実によく描いていて感動的である。

 

 

 

(2006.11.05) (2017.03.09)  森本正昭 記