「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 027
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白井久夫 『幻の声』NHK広島8月6日、
岩波新書、1992年

 

 

   

 

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戦後30年も経ってから、一通の手紙がNHK放送センターに送られてきた。それは原爆投下後の壊滅状態の中で、ラジオから美しい悲しい女の声が呼びかけ、やがて途切れた。その人はどうしたのかという問い合わせであった。手紙の送り主は広島県福山市に住む田辺澄子という主婦であった。

「それは広島に原爆の落とされた日の放送でした。8月6日の8時半頃でしたでしょうか。突如として、美しい澄み切った声が入ってきたのです。“こちらは広島中央放送局でございます。広島は空襲のため放送不能となりました。どうぞ大阪中央放送局、お願いいたします。…”この言葉が息も絶え絶えに、30分も続けられたでしょうか。声はそのうちぷつんと切れてしまいました。」

この声を追って、著者の取材は17年にも及ぶ。しかし、声の主を捜し当てることは遂にできなかったそうで、表題どおりの『幻の声』となったのである。

この声を耳にした人は田辺さん一人ではない。30年も経ってから、私も聞いたと証言する人が出て来た。死の世界に向かって人が絞り出す声は天使の声のようであったという。

しかし当時広島放送局にいた女性(アナウンサーだけでなく、技術者、タイピスト)の中で該当する人はいない。男性ではないかと放送できる可能性のある人を追っていくが、生存している人の中からはその可能性は見いだせないままである。

ラジオを聞いている人びとに直接、大阪放送局への連絡を頼んでいる男の声を聞いた人もいる。物音ひとつ感じない死の街で、壊れた建物のなかからその声だけが流れてきていたという。ケーブルの損傷で連絡線の電話の声が放送線に漏れてしまったとも考えられる。この著書はその声の主と行動を追っていくのだけれど、解答は得られない。  

ところが取材の過程で、いろんな周辺の情況が明らかになってくる。先ず当時のメディア事情を理解する必要がある。戦時下のメディアの実像は軍との根強い関係があり、放送局側の自由になることは少なかった。国民にとっての放送の役割は上層部からの指令というべきものであった。さらに敗戦直前の防空体制の不備など幅広いことに及ぶ。なぜ当日警報を出すことが遅れてしまったのかに対して、詳しい記述がなされている。もし警報が10分でも早く出されていたら、死亡者の数はもっと少なく済んだかもしれないがゆえに当事者の心は重い。

実はこの著、書かれていることは決して難しいことではないにもかかわらず、私は記述の展開を理解できず、3回にもわたって読み返すことになった。部分的に反復して読んだ個所も含めるともっと多くなる。それでも理解できないところが残された。

終わりに原民喜の詩「カ細イ 静カナ言葉」に到達する。これが幻の声に代替するかのごとくである。

 

 

(2006.11.05) (2017.03.16)  森本正昭 記