「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 013
                        Part1に戻る    Part2に戻る

吉村 昭 『深海の使者』 文藝春秋 1976年

 

フランス・ロレアン軍港で日本への
帰国準備に追われる伊ー29号
sidenkai21.cocot.jp/m422.html
より借用

   

 

戻る

太平洋戦争開戦後、日本と同盟国であるドイツとの連絡は閉ざされた状態になっていた。それを可能にした唯一といってもよい手段は潜水艦を長駆派遣することであった。しかし日独ともに敗勢にたった時期になるとそれはますます困難で危険な賭のような方法になっていった。潜水艦以外の方法では長距離の移動を可能にする手段がほぼない状態であった。長距離を飛行する飛行機は存在したが、中立条約を結んでいたとはいえソ連上空を飛行することの結果を日本の首脳部は恐れていていた。南方を迂回することは一層の長距離化と飛行条件を悪化させる困難なものであった。

潜水艦の場合でも電波探索の技術が欧米において急速に進歩したため、連絡のための電波を発信することが発信場所を逆探知されて攻撃されること、哨戒・攻撃密度の高い地域では海面に浮上することすらできなかったこと、燃料の補給が難しかったこと、長期に及ぶ艦内拘束のため乗組員に死に至る病人が出ることなどの問題があった。

 筆者は日本の潜水艦技術をこの本を読むまで知らなかった。大艦巨砲主義を貫いてきた日本の海軍では潜水艦は地味すぎる存在のため、一般には知られていなかった。しかし日本からインド洋、さらに喜望峰を迂回して大西洋を北上する長距離を航海できる潜水艦を持っていたのは日本だけで、ドイツ側からも大いに期待された。ドイツは航空母艦の設計図のほか、アジアからしか入手できない生ゴム、錫、雲母、タングステン、マニラ麻、コプラなどを日本から供給されることを期待していたのである。一方で日本はドイツの先進的な武器、とりわけ電波兵器技術を導入したくてたまらなかったのである。

 著者吉村氏の詳細細微に至るノン・フィクション文学には感嘆する。作中に登場する人物は主に海軍軍人達である。その実名がおびただしく登場する。彼らの多くが難局を命をかけて切り抜けようとしている様に感心するが、本サイトは「戦争と庶民」をキーワードとしているので関係ない本なのかも知れない。それで階級や個人名は無視して読み進んでいく。しかし、長時間潜水艦に閉じこめられて、酸素の量は少なくなり、逆に炭酸ガスの量が急激に増してきて乗組員は激しい頭痛におそわれる。それは頭蓋骨のきしむような痛みで、かれらは頭を手でかたくつかんでいたなどという表現が臨場感を誘う。

遠隔地にある同盟国同士が連絡を取るとき、現在ならどうするのだろうか。通信技術はこの頃よりは日本でも発達しているから、情報のやりとりは問題がないが、兵器類や素材のような物質を遠距離に運搬するにはどうするのだろう。圧倒的な警戒網をくぐり抜けて輸送することは現代でも難しいのではないかと思う。

本著の中でとくに興味をひいたのは伊号第29潜水艦によるチャンドラ・ボースの脱出劇と同艦でドイツに送り込んだ友永技術中佐と庄司元三中佐を日本に送還する際のドイツの潜水艦U234号の話である。チャンドラ・ボースはベルリンで激しい反英放送を行っていたが、突然日本に姿を現したことで内外をあっと驚かせた。その後、自由インド仮政府樹立に邁進するのである。後の方の話はU234で移送の途上、ドイツは無条件降伏をしたことを告げられる。そのためそのドイツ艦に同乗していた日本軍人は技術将校でありながら艦内で自決する。ドイツ人達は自殺の動機を理解できなかったが、日本の武士道精神を賞讃した者もいたという。

 

 

 

(2006.11.05) (2017.03.11)  森本正昭 記