「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 024
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長谷川四郎 『シベリヤ物語』
戦争文学全集(毎日新聞)1952年

 

みすず書房

 

   

 

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 シベリア抑留は第二次世界大戦の終りに、ソ連軍に降伏した関東軍、朝鮮軍、北方軍合わせて約62万の日本の将兵が極東シベリアに抑留され、長い人では12年にわたり食糧不足と酷寒の中で強制労働を強いられた歴史的事件である。敗戦国の日本政府は明らかにジュネーブ条約に違反するソ連の対応について何の主張もしなかった。さらにやっとの思いで日本に帰国した将兵に対して、シベリアから、共産主義化された筋金入りの赤色分子が帰ってきたとして温かく迎えるどころか非情な拘束をしたと聞く。

有刺鉄線で囲まれた捕虜収容所、このようなところでは、犯してはならないルールが外から架せられると同時に内側にも陰惨なルールができる。そのルールを守る範囲では一杯の粟とコウリャンの雑炊が、朝と夕に与えられる。野外作業に出るときは昼食として、粗末な300グラムの黒パンが与えられた。

しかし、『シベリヤ物語』の著者はいっさいその運命の悲哀を記述していない。告発や反抗するのでもなく、淡々とその体験を文字にしている。まるで紀行文のようでさえある。主語は私であり私たちであり、ときにぼくらはと言いかえている。

「列を作った一群の人があるいは炭坑の方へ、あるいは収容所の方へ歩いていくのが見えたが、それが私たちだった。」
「そこで働くソ連人も私たちと大して違わない貧しさである。」というように冷静な目で情況をあくまで客観的に記述している点に感嘆する。

労働について次のような記述もある。「たとえノルマが不合理であろうと、私たちは他の煉瓦工場よりここの労働を好いていた。何故というに、そこには機械というものがなく、人力以外はせいぜい馬くらいのものだったからだ。全部が全部、機械化されるのは恐らく目出度いことだろう。併し、部分的にしか機械化されないで、機械と機械の間に人間が挿入されると、彼の労働は機械に負われて機械を追いかけ、多忙を極めて、まことに味気ないものである。(中略)そして、この機械によって、人間は使用される。」

兵隊に対するソ連人の態度も過酷なものとしては描かれていない。

「馬鈴薯を40キロずつ計ってトラックに積む作業をやけに細かく行う女性班長が、馬鈴薯をバケツ一杯にゆでてきて、兵隊たちにいくらでも振る舞う。」

「ある時、見知らぬ将校がやってきて、ぼくらを何かの作業に貸してくれと言った。護衛兵の内の一人は“だめだ、われわれにはわれわれの任務がある。それに兵隊たちは疲れているのだ”となかなか服従しない。」

ときに逃亡者が出る。シベリアの密林とシベリアの狼は何人をも決して逃がしはしないとスターリンが言ったとか。逃げようがないのだ。それは分かっていることなのだが、逃亡者はそれを試みる。何度かの逃亡の果てに彼は銃殺されてしまう。それを淡々と描くが故に、かえって彼等のおかれたどうしようもない情況を正確に伝えている。

 

 

(2006.11.05) (2017.03.15)  森本正昭 記