「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 028
                        Part1に戻る    Part2に戻る

中村健二 『戦争って何さ ― 戦災孤児の戸籍簿―』
ドメス出版、1982年

 

 

   

 

戻る

戦争や戦災で肉親を亡くした子ども達と施設の熱意のある職員として彼等と生活を共にした著者の交流の記録である。施設とは孤児収容施設、養護施設、精神薄弱福祉施設、児童施設、成人施設などである。

なぜ戦争をしてはいけないのか、私はその理由がここに込められているように思う。戦争や戦災によって肉親との絆を国家によって断たれた子ども達の訴えでもある。戦場や空襲で親を亡くした子ども達のその後の生き方は、さらにその次の世代にまでも不幸を引き継いでいく。両親不明の戸籍で、生まれた子供に不信を買い、その子もまた同じ運命を背負って生きねばならない現実。戦争の爪跡はまったく戦争を知らない子供にまで影響を及ぼすことを知って欲しいと著者は言う。

置かれている事情・境遇は一人ひとりみな異なるのだけれど、何か共通の心情が込められていて涙を誘う。著者が朝日社会福祉賞を受賞したとき、「センセイ、オメデトウ、センセイ、オメデトウ」という祝電を受け取る。しかし発信者名は書かれていない。調べてみると、N刑務所が発信地でそこには教え子の彼Aがいることが第六感でわかった。施設を卒業後30年も経っている。その間、何度かの交流はあったが、風のようにフラリと突然やって来ては、突然に去っていく。いまの境遇を知られたくないために、名前を隠しているのである。

この本の中には彼Aと同じように、肉親と同じではないが、著者を父と慕う少年少女たちのその後の姿がある。なにか特殊な嗅覚でもあるかのように彼等は著者が異動したり、講演旅行をしたりしているその先に突然やって来たりして著者を驚かせる。子供のない著者夫妻はこのような境遇の子ども達と自分の子供同様の付き合いをしているが、子ども達は成人するにつれて、突然姿を消したりする。

「三つ子の魂百までというが、小さいとき孤児となり、自ら食うことを考えねば生きられなかったこの子たち、その苦労が業(ごう)として身に染みついている。人間の育ちの環境の大切さを知らされるのである。」

表題の「戦争って何さ」は文中、「鉄火のお愛」という少女の吐いた、戦争への怨恨の叫びである。ほかにも、「家族って何さ」という問いかけが読者の心に響く。

これらの子供が成人して、幸いにも家庭を持ち、子供が授かると自分か叶えられたかった反動でもあろうか、まるで溺愛型の子育てをするそうである。与えられなかった愛を子供に授ける、それは幸せなことであるに違いないのだが、わが子が大きくなり、親の思い通りにはならないとき、彼等はどうするのだろうと著者は疑問を投げかけている。

 

(2006.11.05) (2017.03.17)  森本正昭 記