「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 021
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妹尾河童 『少年H』上、下卷 講談社 1997年

 

 

   

 

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この小説は著者の戦争体験を少年時代の舞台である神戸を背景にして描いたものである。全編が多数の小話からなっているが、どの小話もわかりやすくて面白い。そのためか出版と同時にベストセラーとなった

私は妹尾氏よりは年少であるが、国民学校に通い、戦時の体験をしたものとして、古い古い感覚が戻るのを感じた。たとえば「焼け跡の熱気から生まれるのか、つむじ風が時々吹き、いままで嗅いだことのないムッとした焦げ臭い匂いが町を被っていた。」という記述に当時をはるかに思い出した。「家の中がすごく明るかった。電灯に被せてあった灯火管制用の黒布がはずしてあったからだ。」では終戦になった直後の我が家もそうだったことを思い出した。

しかし、山中恒氏がこの小説に猛反撃を加えている。山中恒、山中典子『間違いだらけの少年H』(勁草書房)では『少年H』は時制がでたらめで史実が間違いだらけであるという指摘である。これはまるで裁判記録のような内容の本である。

私は幼少年時代の記憶は夢の世界のようなものだと思う。一般に幼少年時、記憶に残っていることは決して忘れないほど鮮烈なものである。しかし時間の観念があいまいなので、時制が逆転していたりする。まさに夢の中の状態である。

ところで妹尾河童氏が描いた絵は、誰も真似のできない細密画のような線画が特徴である。同氏が文章を書くとどうなるのかを期待して読んだ人も多いと思う。精細に描くために歴史年表や過去の新聞に目を通すことによって記憶のあいまいな点を補足したものと思う。史実の記述誤謬は許されるべきではないが、私はあいまいさを許容した方が夢の中の世界のようで話を面白くする効果がでてくると思う。

山中氏の指摘の中に長楽国民学校の二宮金次郎の銅像を撤去の日、友人林と海岸を歩くシーンがある。林は近く神戸学童相撲選手権大会に出場するのだが、海岸では遠くに入道雲が立ちあがっているのを見る。山中氏はこの時期は三学期(真冬)で、この時期に入道雲が立つはずがないとこんな所にも非難を浴びせかけているのだけれど、真冬だと断定するにはこの小学校の銅像撤去の日が明らかにならなくてはならない。根拠が明確ではない。相撲大会を真冬にやりますかね。またこんなことに難癖をつける必要があるのだろうか。少年Hは入道雲に憧れている。好きなのだ。戦時の緊迫した状況下のムシャクシャした気持ちをかき消すために、少年たちの海には入道雲が立ち上がり、それが夢や希望を象徴しているのだと思う。

もう一つ、父・盛夫との関係であるが、少年Hは父との会話を大切にしている。「これは絶対に他の人にいうたらあかんよ」とか「これは二人の秘密にしとかなあかんで」という会話がかなり出てくる。父・盛夫は実は少年Hが戦後何十年も経過した後での妹尾氏そのものなのだと見た方がよい。戦時にすでに天皇の戦争責任を語る少年がいたはずはない。著者がそれを否定しようと、少年H自身も戦後何十年を経た後のH氏が過去を書いているのである。『間違いだらけ…』には何とすごい一家がいたものだと皮肉たっぷりに書いているが、その非難は当たらないと思う。父と子が実質同一人物なので秘密の二人だけの会話がしばしば交わされるのである。小説と記録とは遠い記憶をもとにして書く場合には大いに異なる。記録と記憶は違うものである。それを承知で読めば読者は納得できる。

『少年H』の圧巻は下巻の実弾射撃、蛸壺、空襲、焼け跡、機銃掃射、捕虜などである。上巻のオトコ姉ちゃん、海の子も面白い。

もはや少年ではなくて、銃後の守りについて一家の支えている姿は立派な大人の姿に思える。戦時下の少年は実にたくましかったのだ。

 

 

(2006.11.05) (2017.03.14)  森本正昭 記