「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 010
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ウィリアム・サロイヤン 小島信夫訳 『人間喜劇』 晶文社 1997年
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この本は昭和史とは直接の関係はないのだが、戦争の痛みを後世に伝えるにはどんな表現をすればよいかという本サイトの目的からすると、ぜひ挙げねばならない一冊である。悲惨な体験記録などではなく、平易な語りの中に人々に深く考えさせる要素をもっているからである。 主人公の名はホーマー・マコーレー、まだ14才だが電報配達の仕事で一家を支えている。父は他界し、母マコーレー夫人は未亡人、兄は出征中、その恋人の名はヘレン、弟はユリシーズで幼児。さらに姉がいる。住んでいるのはカリフォルニア州のイサカという架空の小さな町である。ギリシャ神話に出てくるたいそうな名前で構成されている。 電報といえばお祝い事かまたは危篤とか死亡とかの通知が多いのだと思う。それが戦時には戦死者の家族への通報がぐっと多くなる。 「カリフォルニア州、イサカ、G街、1129番地 ある日、メキシコ人女性にこの電報を届けると、英語が分からないので読んで欲しいと言われる。それでもその女性は起こったことを信じようとはしない。ホーマーにはさぼてんで作ったキャンディを食べさせたあげく、これが自分の息子だとして抱きしめたりする。 戦死の電報を届けねばならない人がまたでる。誕生祝いをしている夫人のところに悲しい電報は届く。お祝い電報と思って開くと、表情はみるみるうちに変わってしまう。こんな役割はもういやだとホーマーは思う。しかしこの小説に出てくるイサカの町の人々は善人ばかりである。著者サロイヤンは悪人を描くことには飽き飽きしているかのように善人を描いている。 マコーレー夫人は「世界中どこでも、そういった淋しさでいっぱいでね。淋しさから戦争も起きる。戦争から淋しさができるんじゃなくてね。戦争は淋しさをつくらない。淋しさが戦争を起こす。神様のお恵みをもう持っていないすべてのもののうちにある絶望なんだよ。だけど、わたしたちはこうしていっしょにいようね」とホーマーに答えている。 最後は兄の戦死の通知が舞い込むことになる。 「敵って誰です」というホーマーの問いに対して、「敵は人々じゃないと思う。もしそうなら、ぼく自身がぼくの敵になる。世界中の人々はひとりの人間のようなものだ。おたがいを憎めば、自分自身を憎むことになる。人はほかの者を憎むことはできない。…いつも自分自身を憎むことになるからだ。……」と電報局長に語らせている。
(2006.11.05) (2017.03.10) 森本正昭 記 |