「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 025
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永井荷風 『罹災日録』 
戦争文学全集、毎日新聞社、
1971年

 

左:罹災日録 昭和22年1月(扶桑書房)
右:墨東奇譚 昭和12年8月(岩波書店)

 

   

 

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敗戦の年(昭和20年)一年間の永井荷風の日記である。この年、荷風は66歳になっていた。しかも麻布にあった住居、偏奇館が東京大空襲によって炎上、その後も移転先に空襲が追いかけるように2回転居先で焼け出されている。それでも荷風は「東京住民の被害は米国の飛行機よりもむしろ日本軍人内閣の悪政に基づくこと」とし、軍人嫌いの記述が随所に見られる。

我が家が燃え落ちる様を電柱や木立の陰に身を隠して子細に望見している。万巻の図書が一度に燃えたため、炎は一段と烈しく立ち上がったとある。「着のみ着のまま家も蔵書もなき身となれるなり」と書かれている。

良家に生まれて生活の苦労を味わったことが少ない荷風にとって、この時期、生活をしていくことは大変なことであったのだろう。日録に書いてあることの多くは誰からどんな食料をもらったとか、購入した場合はその値段がこと細かく書かれている。生活感がにじんでいるだけに読んでいて飽きない面白さを感じる。解説者(橋川文三)は戦中日記としてすぐれたものであるばかりでなく、一個の文学作品としても卓越したものであると述べている。

8月15日(終戦の日)、正午に玉音放送のあったこともご存じない。谷崎氏を訪問後、汽車で岡山に戻る。各駅停車なのだろうが、駅ごとに応召の兵卒を見送る小学校生徒の列が旗を振るのを目にしている。終戦の日でもまだ出征兵士がたくさんいたことに驚かされる。

戦後の食糧事情はますます悪くなる。荷風は「あまり寒くならぬ中、何か物書き置かむと思う心はあれど、腹のみすきたれば気力に乏し」などと書いている。しかしやがて荷風は大変身を遂げる。下駄履き、洋服姿、買い物籠をさげた格好で浅草散策を日課とするようになり、当時のジャーナリズムを賑わすことになる。筆者にはこの奇人ぶりしか印象に残っていない。

 

 

(2006.11.05) (2017.03.15)  森本正昭 記