「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 084
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森 与志男『炎の暦』
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著者には戦時中の教育問題を取り上げた作品が多い。 『炎の暦』は戦時下にあって、一教師として生きる若い女性を描いた作品である。 主人公の恋人は思想弾圧による官憲の過酷な取り調べの挙げ句、獄中死してしまう。あの小林多喜二と同等の結末である。傷だらけの遺体は取調中の拷問によるもので、吐血し、死体となって病院に運ばれたに違いないのだが警察関係者は取り合おうとしない。 痛ましくて、私は読後にもう一度読み返す気がしなかった。しかし現代の若者には最近の教育と戦時下の教育を比較する意味で目を通してほしいと思う。教育は時の政治にかき回される。その傾向はいつの時代にも変わらないのかも知れないが、先の戦時下ではあまりも酷いものであったのだ。 上田喜和が主人公の若い女性で小学校に勤めている。父の名は市蔵、母はしの、父は軍の衣料品を納入している業者でもある。兄は芳雄で、兄の友人に高群(たかむれ)学がいる。彼は喜和が慕い焦がれる男性で、小学校に勤めている他、『生活教育』という教育実践の雑誌を発行している。 戦時下の家族はどの家族もドラマ化できるほど、幾多の問題を抱えていた。とりわけ若い年代の青年がその中にいる場合は苦悩が深かった。 その理由は1)召集されて戦場に駆り出される。2)肺結核が猛威を振るっていて若い命を奪っていった。3)思想弾圧に怯え逃げまどった。これらに反抗することはムダなことで、死に追いやられる結末になることが多かった。 兄・芳雄が出征し、軍用列車に乗って戦地へ送り込まれる直前のわずかばかりの面会時間に合わせて、駅の操車場に出かけていく家族や友人たちを描くところから物語は始まる。この小説、場面描写が詳細で映像が目に浮かぶようである。 恋人である学(まなぶ)は国が国民に強制する「皇国民錬成の教育」に反対して、児童の自主性を尊重する教育の研究に情熱を燃やしている。同じ考えを持った若い教師たちの会も開き、そこでの成果を『生活教育』という雑誌に発表している。喜和は小学校教師の立場からそのグループに引き込まれていく。 当時求められていた教育は皇国民を育成することであった。個としての人間を育てることではない。国のため、天皇陛下のために、命を投げ出して尽くすことのできる国民を育てることであった。この考えに反対すると、治安維持法違反として逮捕されたのである。学は小学校教員の辞職を迫られることになるのだった。 時代背景は紀元二千六百年の祝賀気分の中で、治安当局は『生活教育』のような教育実践の雑誌にさえダメを入れてきた。主義者としての弾圧は次第に彼らの活動を取締の対象として、締め付けがきびしくなっていった。生活綴り方運動も治安当局はこれをプロレタリア教育運動の偽装した形態としてとらえ徹底的に弾圧する方針を打ち出していた。 そして『生活教育』はついに廃刊に追い込まれたのである。 学(まなぶ)のさらなる悲劇は肺結核を患っていたことだった。当時は結核に対する特効薬はなく、いったん感染すると回復する望みは薄かった。空気感染するので、患者は生活の場を失っていった。喜和は学を親身になって救おうとするが、次第に望みなき結末が二人を待っている。 この小説、第20回の多喜二・百合子賞を受賞している。いま平成の世になって、多喜二の『蟹工船』が若者のあいだでブームになっているようだが、この本にも多喜二は息づいている。
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