「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 062
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宮内勝典 『焼身』
          集英社、
2005

 

 

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第2次大戦が終わっても、戦争は各地で続いた。しかし近年の戦争は過去のものとその様相を異にしている。近年の戦争は勝ち負けがあいまいである。強大な軍事力を保持していれば、破壊と殺戮はできても結末は勝利するとはいいきれない。争うものが国対国ではなく、相手がテロ集団であるとすると、その存在や所在自体が不明確である。相手側の降伏宣言がないままに泥沼化していく。またそこに参加するものは二者ではなく、国際的広がりを持つ。参加しないと強大国の支配する国際社会から阻害されるのではないかという懸念から強大国を支援する側に立とうとする国が多い。

ベトナム戦争の1963年、ベトナム政府とアメリカの侵攻に抗議するため、一人の仏教僧が焼身自殺を遂げる。このニュースは世界を駆けめぐり、それは崇高な精神の抵抗であるだけに人々を驚かせた。とりわけ欧米社会を驚愕せた。その後、焼身自殺を遂げる人が相次いだ。結果的に南ベトナム政府は崩壊し、アメリカはベトナムから撤退せざるをえなかった。どちらの側にも敗北宣言はないので、勝敗の決着はついていない。

「南ベトナム政府と、圧倒的な軍事力で蹂躙してくるアメリカに抗議するため、ガソリンをかぶってわが身を焼いた。ふるえがきた。誇らしかった。噴き上がる炎が、まったく異なる精神のかたちに見えた。蓮の花のようなアジアの思想が、過激なまでに開花しているのだと思った。」と著者は書いていて、アジアの精神論がまるで次元の違うところから短絡的なものの考え方を否定している。新たな世界観の存在を見せつけた。

著者は当初、僧の名前も彼が焼身した場所さえも知らない。しかし9.11のあざやかな体験から、この過去の事件がよみがえる。どの資料にも名前は書かれていないので、本の中ではX師と呼んでいる。「このおだやかな土地から、わが身を焼くという烈しい思想がどうして生まれたのか」を追い求めようとする意欲がわいてくる。

最初は情報が少ないだけに、著者の過去体験を織り交ぜ、想念が時間と場面を入り混ぜて交錯する。たとえば著者が若い頃体験したバイク事故で、ガソリンをかぶった時の体験がなまなましく描かれている。その体験は体感情報としてX師の焼身の場面を連想させる。

取材の中で、X師の姿はなかなか見えてこない。9.11の事件からは約40年前の事件なので、詳しい情報はなかなか得られない。いらいらするばかりである。

やがてX師はクアン・ドゥック師という名前であることがわかる。しかしすでに伝説上の人物になっているので、どんな人であったかは追求しても答えは容易に返ってこないのである。X師に会ったことのある高僧でも、仏陀の生まれ変わりであるというようなことしか答えてくれない。

全編にアジア的風景と色、香りがただよう。狭い路地、人がひしめき、動いている。汗と揚げ油の匂い、熟し切った果物の香りが漂う街なみ、著者はやがて焼身事件のすべてを演出したといってもいい老僧(ニィエップ師)に出合う。そして事件のあらましを知ることになる。

老僧(ニィエップ師)は「たった一人のアジア人の精神力で、全世界を震えあがらせてやるのが役目だった。植民地支配するフランス、圧倒的な武力でかさにかかってくるアメリカ、そうした欧米の奢りに対して、アジアの意志を見せつけてやりたかった」といいたげである。

自己犠牲は戦争を美化する。反戦デモではなく、宗教的儀礼として、ここでは仏教なので供養としてとらえている。自殺ではなく、焼身供養burning serviceという訳語が定着している。自己犠牲といえば、日本の特攻隊、アラブ人による自爆テロがそれだ。インド独立の立役者ガンジーの非暴力非服従が極めつけである。X師の行動はガンジーの非暴力無抵抗主義に通じるものがある。圧倒的な軍事力に立ち向かう意志のものすごさを際立たせている。しかし、真の独立を獲得するまでにはまだまだ苦闘の歴史と血の海が広がることになるのである。


(2007.09.03) (2017.03.27)  森本正昭 記