「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 035
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柳田邦男『マリコMARIKO』新潮社、1980
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冒頭に外交官・寺崎英成氏がアメリカ人グエンドレンと結婚することになった馴れ初めが書かれている。そして寺崎氏が上海総領事館勤務の時、一粒種の愛娘マリコが生まれる。国際間の結婚は両国が戦争事態となることによって想像を超える苦難の道を歩むことになるが、この一家はそれを乗り越えていく。 1941年、寺崎氏はワシントンの日本大使館の一等書記官となり、日米交渉の日本側の駐米全権大使野村吉三郎を補佐する立場になっていた。当時のありさまを寺崎一家の生活を通して描くことによって、日米交渉の真相をリアルに読者に伝えている。この本の最もエキサイティングな部分でもある。 米側の交渉相手はルーズベルト大統領と国務長官コーデル・ハルであった。せまり来るXデー、ハルの最後通牒に対する日本の回答の遅れ、何とか戦争を回避しようとした外交官の最後の秘策はルーズベルト大統領から天皇陛下へ直電の親書を送ることであった。しかし一縷の望みもついえて戦争に突入することになる。 寺崎一家は交換船(グリプスホルム号から浅間丸に乗り換え)で日本に帰ってくる。グエンはアメリカ人であるが、日本人の妻になりきろうとして、夫と共に日本に勇気ある帰還をする。戦時下において、アメリカ人が敵国社会の中で生きていくことは、とても辛いもののであったに違いない。東京、箱根、伊豆、蓼科を転々とする。当時、必需品はすべて配給制であり、食べるものにも事欠く生活に耐えていくのだが、一家3人とも栄養失調状態になっていったという。グエンは痩せこけて老けた容貌になってしまう。 しかし終戦を境にして、寺崎氏は復職し、占領軍にもの申す立場となり、再び日米間の諸問題に貢献することになった。天皇とマッカーサー会見の通訳も担当した。しかし、過労がたたってか仕事半ばで病気で倒れたというのは惜しまれるところである。 マリコは日中戦争から太平洋戦争を少女の目で見つめてきた。戦後、アメリカの大学で教育を受けるため渡米することとなった。母グエンが付き添って帰国。グエンは夫・寺崎英成との生活の回顧録を出版。本の名前は「太陽にかける橋」で、これは日米にかける心のふれあいの橋を意味していた。この出版は高い評価を得、映画化もされている。 マリコは大学卒業後、米民主党のリベラル派の活動家に成長していった。ベトナム反戦運動や、ジミー・カーターを大統領に担ぎ上げる活動などで活躍している。マリコは父母から試練に対する力強い精神を受け継いでいる。それは国境を越え、海を越え、人種を越えても、なお普遍な相互理解と平和を築くということですと彼女は告白している。ここに母グエンのいう「かけ橋」の役割を果たそうという意志を読み取ることができる。 この本には写真がたくさん挿入されているので、人物像に特別の親しみを持って読むことができる。
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