「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 071
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清水 勳 『漫画に見る1945年』、   吉川弘文館、1995

 

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著者はアセアン6ヵ国の漫画事情を調べるための調査旅行をおこない、「漫画家は厳しい時代に鋭い風刺の眼を開く」という漫画の原則を確認している。

このことは昭和20年(1945年、終戦)の日本にも当てはまるとしている。この年、日本の漫画界で最も風刺の効いた漫画が発表された。人が死に直面した過酷な戦中の時代、言論は統制されていた。それが解除された戦後、人は食うために生きねばならなかった。風刺の鋭い漫画がつぎつぎと発表された。

たとえば、近藤日出造の優れた作品はこの時期に発表されている。秋好肇の「轟先生」、「自由のメガネ」、清水崑の東京風俗スケッチ、山本富夫の「影」などを挙げている。

一方、戦時中は国策に合ったものに極端に制約されていた。それでも漫画は人気があった。新聞や雑誌の硬い表現の中に載っている4コマ漫画は大変人気があった。下図は横井福治郎の「力さん」アサヒグラフ昭和20年1月3日号に掲載された。ルーズベルト大統領は力さんほか市民に打ちのめされている。

日本人の怨念を一身に受けたせいかルーズベルトは1945412日に脳卒中で死亡している。少年であった私は“ざまあみろ!これで日本は勝ちだ”と思ったものだった。

横井福治郎
「力さん」
アサヒグラフ昭和20年1月3日号


(2007.12.30) (2017.04.02)  森本正昭 記