「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 048
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小寺幸生編『戦時の日常−ある裁判官夫人の日記』、博文館新社、2005
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著者は坂本たね。明治33年生まれ、裁判官夫人で昭和4年から昭和56年までの52年間にわたって日記を書き残している。冊数で51冊におよぶ。日記のほかに、家計簿も残している。几帳面な方なのであろう。この方の甥に当たる小寺幸生氏が昭和4年から昭和26年までの日記を抜粋、編集してこの本を出版したものである。裁判官は高級公務員であるから、生活に追われることもないであろうと思って読んでいくと、生活は逼迫していて、戦時下の主婦としての、また裁判官夫人としてのやりくりの苦労が滲み出ている。このサイトは庶民から見た戦時の体験を拾い集めているので、この本は貴重な資料であることは間違いない。 夫人にとっていいことが一つある。それはどうやら裁判官は兵役を免除されていたようで、夫の兵役徴用に怯えるといった記述はまったくないことである。 内容であるが、主婦がどのようなことに関心を抱いていたかということがよく分かる。政治、とくに次々と首相が替わる時期にあって組閣人事についてまで詳しく書かれているほか、敗戦までは女性は選挙権がないにも拘わらず、勝利して欲しい政党、候補者名が書かれていて政治に対する関心が高いことに気がつく。大本営発表の戦勝祝賀記念報道に心はずませている様子などでは、それが偽りの報道であることを知っている立場からは胸傷むものがある。 戦況が悪化してくると、銃後の守りは隣組(隣保班)が町内会の下部組織として全国規模で組織される。組長を選び、常会が開かれ、回覧板を回し、食料の配布から防空活動までを行う。それは物資の不足とその配給制度と深い関係を持っている。配給品は隣組単位で配給される。それを隣組組長が取り仕切る。それだけではなく軍事費高騰を賄う国債や必勝貯金を毎月のように分担しなくてはならない。さらに弾丸切手というものがありこれを買わなくてはならない。各戸の均等割ではなく、払える家は毎月高額に買わなくてはならない。組長の支配力が食料の配給との関連で大変なものであったろうことが推測される。 主人小寺徹章氏は転任が多いのであるが、物不足のひどい時期に高知に転任する。海に近いこの地であれば食料として魚が豊富であったろうと想像できる。ところが現実は漁師が兵役に駆り立てられ、漁船も徴用されて漁獲が衰退していたため高知では魚は食卓に上らなかったようである。 この日記、肝心の終戦をはさんだ期間(昭和19年11月から昭和21年11月)は空襲ほかの事情で書けなかったのか、中断しているのは残念である。戦後はインフレによる物価の著しい高騰の有様を日記に見ることができる。それでも裁判官の家庭であるから、恵まれていたのではないか。そうでない一般庶民の家庭ではどのような生活であったのか、想像を絶する厳しさではなかったか。
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