「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 007
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小林完太郎 『異説 学徒出陣』日本平和論体系19、日本図書センター、1994年
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戦時に大学や高専の学生には徴兵猶予の恩典が与えられていた。昭和18年その恩典が理工系学生を除いて廃止され、徴兵検査を受け入隊を強いられることとなった。日本の戦局は暗転し悲劇的局面に立たされる状況になったからである。 著者(小林氏)は身長、体重ともに標準以下であったため徴兵検査結果は丙種合格であった。これなら兵役に取られることはないと思っていると、下宿に臨時召集令状いわゆる赤紙が舞い込む。これは予想していなかったことなので、著者は驚き落ち着きを失いかける。入営準備や心構えはまるでできていなかったせいでもある。入営を前にして郷里では歓送の熱気に包まれる。氏神での武運長久の祈願を終え駅に向かうとき、著者は道中、「これは葬式の一種ではないか、自分はいま野辺送りをされているのではないか」と感じている。 ところで学徒兵は試験を受ければ大部分は幹部候補生になり、将校の道を歩むことになっていた。その方が一兵卒よりも恵まれていることを、郷里の先輩他から薦められるのだが、著者はその道を拒否して一兵卒に甘んじようとする。その理由は何か。勉学する場からむりやり、兵隊の世界に追い立てられたことへの代償としての意味もあろうが、軍の指導者の本音は戦火の拡大で失われた下級幹部の即席補充にあったと考えられる。またこの戦争についての多大な疑念が、著者をして軍隊への奉仕に躊躇せざるを得なくしたのであろう。 結局、幹部候補生試験は白紙に近い解答を出したことや、口頭試問で英文科を選考した理由を聞かれてうまい言い逃れができず落とされる。敵性国家の文学を勉強することはまるで評価されない世界なのであった。 著者は国内での軍隊生活に終始し、海外の激戦地には出動していない。しかし数々の軍事教練、擲弾筒を背嚢に取り付けた完全軍装では34キロもの重量を貧弱な身体で支え行進した。内務班生活では起床から消灯、就寝に到るまでゆっくりと腰を下ろす暇もなく、古参兵たちの意地悪い監視と怒声のもとに厳しい雑務に耐えていく。数々の苦渋と辛酸を味あう。戦局は次第に悪くなる一方で、野戦部隊に編成替えになると、その訓練の実態から南方のどこかの戦場に送られることを覚悟する。実際には国内の防御の任務に就き、やがて終戦となる。このような状況の中で、著者の唯一の慰めは、かねて新宿のムーランの踊り子・宮園町子の熱烈なファンであったことから、この女性を「遙かなる恋人」として夢にまで見、苦しい軍隊生活を耐えていくところがけなげである。その幻の恋人の兄という戦友に不思議な出会いをするところが面白い。いまどきの若者言葉で言えば実にかわいらしい。 戦後になって、「国力を回復し、高度経済成長のもとに自惚れが高じてくると、政治の指導者たちはふたたび不遜な態度を取り戻し、荒々しい血潮が立ち返ってくる。そして、戦争の知識の乏しい若い世代をも容易に巻き込んで、もと来た道を歩き始めようとする。カッコよい指導者が現れでもすると、ふたたび大衆は無批判にその歩みに同調し、追随するようになる」。終わりに徴兵制が再び若者を戦場に送り出すことがないようにと著者は祈願している。
(2006.11.05) (2017.03.09) 森本正昭 記 |