「昭和ドキドキ」(戦争の記憶を後世に伝えるためのサイト)で紹介 015
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伝道者になった真珠湾攻撃隊長−淵田美津雄・心の軌跡−
      NHK
テレビ番組

淵田美津雄『真珠湾からゴルゴダへ』ともしび社、1954年

この本は現在入手できない。

http://www.being-nagasaki.jp
/genbakutaikenki
/hutidamituo.htm

 

   

 

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人はなぜ憎み合うのか、戦争はなぜ起こるのか、それを避けるにはどうすればよいのかという人間の根元的問題に対する解答がここに込められている。

淵田美津雄の名を全国に知らしめたのはあの真珠湾攻撃において大戦果をあげたときである。淵田はこの戦いの第一次攻撃隊隊長で、「トラトラトラ我奇襲に成功せり」と打電したことで英雄になった。彼の書いた未完の自叙伝の中で私の青春はすべて、その一日のためにあったと記している。もちろん昭和16年12月8日のことである。

その後、淵田は海軍の参謀となる。広島に原爆が投下された日の前日まで会議のため広島にいたという。その難を逃れたというよりも必要があって生かされたと言うべきかもしれない。

戦後、淵田は戦犯裁判の証人として、占領軍軍事法廷に喚問されている。これは勝者が敗者を有無を言わさず処刑するという裁判で、法の名を借りた復讐であると感じ、反感と憎悪で胸を焦がしたという。何か反論できる根拠はないかと淵田は日本人捕虜に対するアメリカ側の対応はどうであったかを聞き回った。するとあるキャンプにいた捕虜たちから予想もしない美しい話を聞かされることとなった。

ある捕虜収容所で、一人の若い女性が日本人捕虜に対して献身的な働きをしてくれていた。病人には手厚い看護をしてくれた。一体どうしてあなたはこんなに親切にしてくれるのですかと尋ねると、「実は私の両親が日本の軍隊によって殺されましたから」という答えに唖然とする。この若い女性の両親は宣教師でフィリピンにいたのである。日本軍がフィリピンを占領したので、難を逃れるため、山中に隠れて暮らしていた。アメリカ軍の再上陸によって、ある日、隠れ家が日本軍に知られたため、スパイ容疑で逮捕され、斬殺されてしまったのである。この事実はアメリカに住んでいた娘さんにも知らされた。この女性は日本の軍隊の野蛮さに憎しみと怒りで張り裂ける思いを抱くことになった。しかししばらくしてから父母の教えに学ぼうと決心したのです。ルカの福音書23章34節「父よ、彼等を赦したまえ、その為すところを知らざればなり」が父母の教えだったのです。

淵田はこの話を聞き感動したのだが、それでもまだ充分には理解できないでいた。ある日、所用で行った東京・渋谷駅で一人のアメリカ人がパンフレットを配っていた。それはあのドーリトル爆撃隊の隊員であったJ・デシーザー本人で、彼および仲間の爆撃隊員たちは東京に爆弾を投下した後、中国に不時着したのだが、仲間の何人かは日本軍に処刑されてしまったのである。書かれていたのはJ・デシーザーの入信手記であった。なぜ人間同士がかくも憎しみ合わねばならないのかと考え、人類相互の憎悪を真の兄弟愛に変えるキリストの教えが書かれていた。それを見た淵田は心を開き、聖書を読もうという不思議な欲求にかられたという。その後、淵田とJ・デシーザーは無二の親友となるのである。

憎しみと報復の連鎖を断ち切ることの大切さを知り、アメリカに伝道の旅を行うことになる。どの教会でも多くの人々に感銘を与えることができた。さらにあのハワイでも伝道集会を何度も行っている。淵田は自分が真珠湾の攻撃隊長として多数のアメリカ兵を死傷させたことを決して謝罪しなかったそうである。このことは武人としての信念に基づくものでこれまた感心させられる。

この話はどうすれば戦争や紛争を無くすことができるかという最大の問題に対する解答を提示している。

キリスト教の敬虔な信者になればよいのだろうか。あのブッシュ大統領は敬虔なキリスト教信者だと自他共に認めるところであるらしいが、報復の連鎖であるイラク戦争を開始し、いまだ終結する見通しはまるでない。ブッシュが大統領でいる限りいつまでも戦争は終わらないと嘆いているアメリカ国民の声をテレビで聞いた。

この問題解決の糸口をどのように実現していくのか、人類に対する勇気の必要な大きな課題である。

 

 

 

(2006.11.05) (2017.03.12)  森本正昭 記