「強制収容所における一心理学者の体験」というタイトルにすべきところを「夜と霧」としたのは、それがナチスの本質を象徴的に表しているからである。政治犯やユダヤ人は家族ぐるみ連行され一夜にして消え去ったという。著者は心理学者で、アウシュビッツ強制収容所での体験を生還後に書き残したものである。20世紀の名著に挙げる人が多い。
このサイトに取り上げるべきなのか迷ったけれど、日本軍もアジアにおいて類似した蛮行に及んでいるし、シベリアに抑留された日本人もまた同じような体験を味わったのである。
この本は精神医学を学んだ著者が冷徹な眼で限界状況に置かれた人間の姿を見つめている。現代史における貴重な記録でもある。今後、これ以上の悪が人間の意志で行われることはないと思いたいが、戦争の病理は魔物である。再現することはないと断言できる保証は何もない。
まず、目次にある章の題名が苦悩に満ちたものである。アウシュビッツ到着、死の蔭の谷にて、非情の世界に抗して、発疹チブスの中へ、運命と死のたわむれ、苦悩の冠、絶望との闘い、深き淵より。これを見た段階でこの本の世界に入り込むことを躊躇ってはならない。人間の精神の偉大さ・奥深さを知るために慎重に読み込んでいかなくてはならないからだ。
いくつかの感動的な記述を挙げることにする。
「考え得る限りの最も悲惨な外的状態、また自らを形成するための何の活動もできず、できることと言えばこの上ないその苦悩に耐えることだけである状態―このような状態においても人間は愛する眼差しの中に、彼が自分の中にもっている愛する人間の精神的な像を想像して、自らを充たすことができる。…私は何時間も凍った地面を掘り続けた。私は愛する者との会話を続ける。彼女は手を伸ばしさえすればよいかのようで、彼女はそこにいる!そこに!…その瞬間、音もなく一羽の鳥が降りてきて私のすぐ前に止まってじっと私の目を見つめた。」
「われわれが労働で死んだように疲れ、土間に横たわっていた時、一人の仲間が飛び込んできて、極度の疲労や寒さにも拘わらず、日没の光景を見逃させまいと、急いで外の点呼場まで来るようにと求めた。
われわれは西方の暗く燃え上がる雲を眺め、また幻想的な形と青銅色から深紅の色までのこの世ならぬ色彩とをもった様々な変化する雲を見た。その下に対照的に収容所の荒涼とした灰色の掘っ立て小屋があり…感動の沈黙が続いた後に、『世界ってどうしてこう綺麗なんだろう』と尋ねる声が聞こえた。」
「近いうちに死ぬであろう女性、『私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを追ってはいなかったから』、最後の日に彼女は全く内面の世界に向いていた。『あそこにある樹はひとりぼっちの私のただ一つのお友達。この樹とよくお話ししますの』」
「収容所では比較的小さな時間間隔―たとえば一日はほとんど限りなく続くように囚人には思われるのである。しかしより大きな時間間隔―たとえば週は気味悪い程早く過ぎ去っていくように思える。だから収容所では一日の長さは一週間よりも長いと言ったとき、私の仲間はいつも賛成してくれた。」
この最後の記述だけは現代の過酷な労働事情に通じるものがある。収容期限のない「仮の状態」におかれた者にとっては同じ心理状態なのかもしれない。
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